私は1998年のドラフトで幼い頃から憧れていた中日ドラゴンズに入団できました。ドラゴンズの一員になれたことは、とても光栄でした。約24年もの長い間、そのユニフォームに袖を通すことができて、夢のような時間でありました。

 なかでもナゴヤ球場で過ごした時間は特別だったと感じます。岐阜出身の私は、物心ついた頃にはドラゴンズファンでした。なので幼い頃には父や兄に手を引っ張られ、何度もナゴヤ球場を訪れていました。

 当時の光景は今でも鮮明に覚えています。球場へは「ナゴヤ球場前駅」で降りて歩いて向かうのですが、駅を降りると既にナイターの光が夜空を明るく照らしていますから、どこに球場があるのかはおおよそ見当がつきます。歩いているとその光が徐々に近付いてきて、歩くスピードも知らぬ間に速くなりますし、ワクワクで心臓の鼓動も速くなります。球場に着く頃には、まだ試合も観ていないのにボルテージは最高潮に達してしまっていて、今でも思い出すと胸が高鳴ります。

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 今日は、そんな私にとっての“聖地”ナゴヤ球場の話をしたいと思います。

現役時代の筆者・英智 ©時事通信社

グラウンドキーパーさんは選手と共に戦う戦士

 ナゴヤ球場は現在、ドラゴンズの二軍本拠地となり、若手選手が日夜汗を流しています。私は、選手時代はもちろん、二軍コーチを務めていた間ずっとナゴヤ球場に通っていました。

 球場では選手またコーチ、監督がスムーズに練習、試合を執り行えるようにたくさんの人たちにサポートしてもらっています。

 例えば、グラウンドを常に良い状態に整備してくださっているグラウンドキーパーさんが常駐してくださっていますし、お腹が空いた時のお昼にはご飯を作ってくださる業者の方がいて、仕事着であるユニフォームなどを綺麗に洗濯してくださるクリーニング担当の方もいます。さらには選手がロッカールームや廊下に持ち込んでしまうスパイクについた土を床掃除してくださるおばちゃん(敬意と親しみを込めて、あえておばちゃんと呼ばせてください)がいて、ゴミの片付けやトイレの清掃などもしてくださっています。

 たくさんの方々のサポートがあるからこそ、グラウンドに出ている人達は野球だけに集中できているのです。そこで、もう少し詳しくサポートしてくださっている方々の仕事の内容をお伝えしたいと思います。

 まず、グラウンドキーパーさん。当然のことながら毎日練習開始に備えてグラウンド整備をしてスタンバイしてくださっています。練習開始の2時間くらい前には来られているんじゃないでしょうか。

 なかでも雨上がりの日はグラウンド状況がさまざまなので特に大変そうです。その日グラウンドで練習ができそうなら、内野の各ポジションにできている水溜まりの雨水をスポンジで吸い取ってくれています。腕の袖と長ズボンの裾をめくり上げ、裸足になって作業しますから、遠目から見るとまさに昔の田植えのスタイルです。これがどれほど大変なのかは、私達も学生の時に経験済みですからよく理解できます。天候の変化にはとても敏感な私達ですが、彼らの方がより一層気に留めている印象です。

 1日は彼らのグラウンド整備から始まりますし、遅くまで練習している選手を急かすことなく見届けて締めくくってくれていますから彼らの仕事で1日は終わります。結果、彼らは長時間労働となってしまいます。それが毎日のことですから頭が下がります。

 暑さが厳しくなりだすと、私たちが休みという日でも外野の芝刈りなどをしてくれていますからグラウンドキーパーさん達は休んでいられない仕事です。なのでワンシーズンを乗り越えることは容易ではなく、ただ単に「野球が好き、ドラゴンズが好き」という気持ちだけでは難しいでしょう。選手を応援する温かい気持ちと根気強さが必要なはずです。彼らはユニフォームこそ着てませんが共に戦う戦士なのです。