野球の起点――それはホームベースだ。

 それに基づきマウンドや各塁のベースが設置される場所が決まるし、ピッチャーが投げる球はその上を通過しなければ試合が進行しないし、野球そのものが本塁を多く踏むことを競うスポーツでもある。だから、平和台球場やPayPayドームなどでグラウンドキーパーを36年間も務めた徳永勝利さんは、ホームベース周りの整備を担当することに強い信念を持っていた。

誰からも慕われた「徳さん」がこだわったグラウンドへの想い

 野球場に人生を捧げた男が2023年4月27日、ホークス対イーグルスの一戦で「最後の仕事」を終えた。36年間だから職に就いたのは1988年。ホークスが福岡に移転してくる前年になる。後に訪れる黄金期のはるか夜明け前からチームを支え続けてきた。いわばホークスを知り尽くす人物だ。そんな人が最後は球団と意見の相違があったとかで自ら早期退職の道を選んだと聞いた時は非常に驚いたが、徳永さんのつくり上げたグラウンドで戦うチームは常勝軍団と呼ばれるまでになった。

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 ただ、徳永さんが何より気を配ったのは「選手がけがをしないためのグラウンドづくり」だった。

「選手が少しでも不安や違和感を持つようなグラウンドならば、僕らが仕事を果たせてないということ。その上でチームが勝つことが何よりの喜びでした」

 だから当然、誰からも慕われた。福岡移転当初は現役だった藤本博史監督をはじめとした現首脳陣、数々のホークスOBたち、そして今のバリバリの現役選手たちからも「徳さん」と呼ばれて信頼された。

 36年間の最終日。試合前練習の開始直前にはチームによるささやかな慰労会が行われた。首脳陣、選手、スタッフが集まり花束が贈呈された。

 徳永さんは鼻の奥がツンとする熱い感情をぐっと我慢するように、時折声を詰まらせながら、別れの言葉を語った。

「グラウンドキーパー36年目、58歳、徳永です。シーズン途中にこういう形になって、皆さんにご迷惑をおかけすることになります。申し訳ございません。いつもグラウンドを大切にしてくれる皆さんのおかげで、僕は大好きなこの仕事を続けることができました。日本一のキーパーになりたくて、日本一のグラウンドを目指しました。それができたかどうかは分かりません。でも、皆さんが何度も日本一になってくれました。それは本当に嬉しかったです。僕が作ったグラウンドで日本シリーズ本拠地16連勝です。皆さんは、とてつもなく素晴らしい記録を継続中です。すごいです。記録更新、お願いします。(この時点で)今シーズンは本拠地無敗らしいので、今日も勝ってもらえたら、僕のラストデーはよい思い出になります。よろしくお願いします。本当にみなさんありがとうございました。36年間ありがとうございました」

花束を手にする徳永勝利さん ©田尻耕太郎

 その言葉を聞きながら、特に寂しそうな顔をしていたのが斉藤和巳1軍投手コーチだった。自身のSNSにも「急な退団…直接報告をもらったけど…聞けば聞くほど…寂しいし辛い…」と綴っていた。試合前練習が行われるため短めのセレモニーだったが、斉藤コーチは徳永さんのそばから離れようとせず、一緒に写真撮影をしたいとせがんだ。一旦撮り終えたが、やはりマウンドで撮りたいともう一度仕切り直した。