新天皇の即位で「まずは山だな」
大木 私が社会部で宮内庁担当だった時期というと、皇太子ご夫妻への週刊誌や世間の風当たりは非常に強かった。そんな中で私は“反主流派”で、正直に言いますと、上皇ご夫妻を好意的に見ることができませんでした。というのも、陛下は2004年に「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実」と衝撃的な発言をしましたが、これは陛下が、言うに言えない家庭内の問題に苦慮した挙句、雅子さまを救う最後の一手として発したものだろうと思っていたからです。
そういった思いから、批判の矢面に立たされている当時の皇太子さまと雅子さまには強いシンパシーを抱いていました。ですから、新しい天皇が即位されたあかつきには「私が率先して何か書かなければ」と思っていました。ではどういった姿を伝えればいいのか、どのような材料があるのかと考えたときに、「まずは山だな」と思ったんです。
天皇陛下は生粋の「岳人」
――なぜそこで山だったのでしょうか。特集内には天皇陛下のお姿とともに、美しい山々の写真が多く掲載されていますね。
大木 天皇陛下は生粋の「岳人」です。幼い頃から登山に魅了され、これまでの山行回数は170回にも及びます。何時間もの忍耐の末に得られる爽快感や達成感。登山がもたらしてくれる多くのものは、陛下の人格形成に大きな影響を与えたに違いないと思います。山で会う人々は「たまたまそこにいた人」であり、町で出迎える人々よりも「普通の国民」に近く、素朴で穏やかなやり取りが交わされていました。陛下が国内各地を巡り、国民への「親しみ」を身につける素地にもなった美しい山の世界を紹介したい。それによって陛下の姿を伝えたい。そんな風に考えたんです。私自身も登山が好きですし。
私としては、紙面に陛下の写真だけではなく、山の写真をなるべく多く、大きく使ってほしかった。なぜかというと、皇太子の登山というと、頂上で記念写真を撮って……みたいな写真や映像ばかりが伝えられますよね。そんなのをいくつ並べても、当人が感じたものは伝えられないと思うんです。それよりも、陛下が見た風景を私は載せたかった。だから、図版の半分ほどは山の写真にしたんです。
――なるほど、そういう経緯があったんですね。読んでいて、「陛下と同じ風景を見てみたいな」と思いました。取材はどうやって進めていったんですか?
大木 まず陛下がこれまでどのような山に登ったのか、徹底的に調べるところから始めました。共同通信のデータベースで「皇太子 山」「浩宮 山」と検索して陛下がいつどの山に登ったのか、概要を把握したところで、この本に出会いました。『歩いてみたい日本の名山―皇太子殿下の登られた百の名山ガイド』(EDICO編、西東社)です。かなり詳しく陛下の山行の歴史が書かれています。こういった書籍も参考にしながら、オリジナルのリストを作りました。「何十年前のこの日に登っていますけど、その日に一緒に行った人はいないですか」と役場に電話して、しらみつぶしに取材を続けました。