ディレクターの個性が削がれていく原因
大島 NHKの方と話していて気になるのが、プロデューサーが「自分が兵隊だった頃は」って言い方しません? 兵隊ってディレクターのことなんですけど。
土方 あの言い方、イヤですよねー。報道の現場では兵隊は記者のことを指すんです。
大島 自分が兵隊だった頃には、プロデューサーからボコボコに編集やり直しを食らって……みたいなことを、さも武勇伝のように語る人いますよね。あれ、おかしいと思うんですよ。
佐々木 わかります。ディレクターってその作品に一番責任を持っている。映画で言えば監督の立場ですよ。なのに、それをプロデューサーがいじくり倒す体制が当たり前になっている。それを少しでも変えていかないと、現場のクリエイターたちは報われないですよ。
土方 民放だとプレビュー、NHKだと試写って言いますけど、放送前にプロデューサー以上の立場の人に番組を見せる過程があるんです。NHKってその試写がすごく多いって聞くんですけど、そうなんですか?
佐々木 最低でも3回はありますね。『NHKスペシャル』みたいな大番組になるともっと多いし、チェックする人数も増える。試写が終わると「何分何秒にあったあの場面は、こうしたほうがいい」みたいな指摘がバーっと出る。その過程がクオリティを担保しているという反面、何が起きているかというと、ディレクターの個性や主観がどんどん削がれて、角の取れた番組ばかりになる、と。
大島 リスク管理や校閲的な指摘ならまだしも、個人の好みに基づく修正指示やら、あまりにもいろんなことを言われるからノイローゼになる人も多いって聞きます。ディレクター時代に『Nスペ』やってた人から、あまりにも注文が多すぎて試写中に気絶したことがあるって聞いたこともあります(笑)。
佐々木 『Nスペ』の試写を見たイギリス・BBCの人が仰天したって聞きましたよ。「ウチじゃ、あんな大人数に見せないよ」って(笑)。
ビンタのシーン、よく放送できたなって
土方 民放も同じなんですけど、ディレクターもサラリーマンの一人。上の意向を聞かざるを得ない場面が多々あるわけですが、そうなるとフラットなディスカッションで物を作る行為にはなりませんよね。
大島 制作会社とテレビ局の関係もそうですね。クライアントと下請けみたいになってしまいますから。
佐々木 上の意向を忖度するようになったりして、一体、誰の作品か、よく分からなくなっているケースも珍しくないと思いますよ。
土方 そして、誰が責任を持つのかわからない番組になっちゃって、トラブルが起きたら現場のせいにされて切られちゃう。この構造があるから、ディレクターの個性、尖ったところのない、ツッコミどころのない、理論武装したドキュメンタリーが生まれやすいんです。無難さは完璧、でも一つだけ足りないのが面白さっていう、残念な結果に陥ってしまう。
佐々木 だからこそ、土方さんの『ホームレス理事長』で監督が球児にビンタを喰らわせるシーンは、ギョッとするわけです。よく放送できたなって(笑)。
大島 プロデューサーの阿武野さんからは、このシーンについて何か言われたんですか?
土方 当初はビンタまでの何もない時間を削ってテンポよく場面が進行するようにテレビ的な編集をしていたんです。ところが、阿武野は「ここは全部流れをそのまま見せろ」と。気持ちよく見せる場面じゃない、とアドバイスしてくれたんです。もちろん、賛否両論起こることは覚悟の上です。
佐々木 本来、プロデューサーはそういった視点を与える存在であるべきですよね。さすが、阿武野さん。