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連載この鉄道がすごい

赤から白へ、生まれ変わった山陰本線「余部橋梁」を眺めた

むかし鉄道名所、いまパワースポット!?

2018/02/18

450馬力のディーゼルエンジンを2基ずつ積んでいる

山陰本線を走るキハ189系の特急「はまかぜ」

 特急「はまかぜ」は、大阪駅と兵庫県の香住駅・浜坂駅、鳥取県の鳥取駅を結ぶ列車だ。JR神戸線を姫路まで、高性能電車に負けずに高速で走り、播但線では粘りのある登坂力で中国山地を越える。そのために、キハ189系の各車両は450馬力のディーゼルエンジンを2基ずつ積んでいる。前面形状に名車キハ181系の面影が残っている。

 舗装された坂道を降りて橋の下へ。12年前に観た壁画がなかった。餘部駅を作るため、村人たちが老若男女、総出で資材を運び上る様子が描かれていた。じつは、1912年に余部橋梁ができたとき、駅がなかった。村人たちは隣の駅まで鉄橋とトンネルを伝って歩いた。それでは危険すぎると駅の設置を願った。1950年代になって駅の設置が決まったとき、人々は喜んで手伝ったという。良い絵だと感じたけれど、子どもが重い荷物を背負って歩く様子は、現代では好ましくないと思われたのかもしれない。

なるほど、あの展望台は確かに「空の駅」

 地上にたどり着いて、まずは慰霊碑を拝む。1986年に余部橋梁を通過中の列車が強風に煽られ、客車7両が落下した。客車は回送扱いで乗客はなかった。しかし、橋の下の缶詰工場と民家に落ち、工場の従業員5名と車掌1名が亡くなった。その慰霊碑だ。この事故をきっかけに、余部鉄橋の強風による運行制限が厳しくなり、それは鉄橋の架け替えにつながっていく。

1959年に開業した餘部駅

 道の駅あまるべの展示スペースで、余部橋梁を紹介する動画が上映されていた。山陰本線と初代余部橋梁の建設の様子、地域住民が総出で頑張った餘部駅建設のエピソード。そして、悲しい事故の記録と新しい橋ができる経緯。入り江の町は鉄橋の歴史とともにあった。

 土産物を買って、あらためて余部橋梁を見上げる。こんどは青空を背景に白い橋が架かっている。なるほど、あの展望台は確かに「空の駅」。余部橋梁は「空の橋」だ。この地を訪れた人々の願いが、空の駅、空の橋を伝って天に届く。そんな縁起すら感じる。

エレベーターも設置された

 2017年11月26日から、道の駅と空の駅を結ぶエレベーターが運行を始めた。かつて、鉄道ファン、土木ファン、鉄骨ファンの名所だった余部橋梁は、いま、兵庫県美方郡香美町の観光名所、パワースポットになったといえそうだ。

近くの香住駅には巨大な蟹爪のオブジェが

写真=杉山秀樹/文藝春秋

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