1987年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件。「赤報隊」を名乗るテロ集団が朝日新聞阪神支局の記者二人を散弾銃で殺傷し、その後も、「赤報隊」は江副浩正元リクルート会長、中曽根康弘、竹下登両元首相らを標的に脅迫した。一連の事件は「116号事件」と呼ばれ、のべ62万人の捜査員が動員されたものの2003年に時効を迎えている。
取材班が粘り強く取材を重ねて掴んだ重大な証言
月刊「文藝春秋」取材班は、兵庫県警が作成した捜査資料を入手するなど、20年にわたる断続的な取材を通して、新事実を掴んだ。
「僕はね、野村さんが116号事件に関与していたと朝日新聞阪神支局の事件直後からずっと思っていたんです」
そう語るのは、不動産会社「サム・エンタープライズ」元社長の盛田正敏氏(79)だ。「野村さん」とは、1993年に朝日新聞の東京本社で自決した“新右翼のドン”こと野村秋介氏である。取材班は、約10年前にひそかにアメリカから帰国した盛田氏に対し粘り強く取材を重ね、重大な証言を得た。
「これまでの出来事は誰にも言わなかった。野村さんが亡くなって30年になるが、今も心の奥底にずっと引っかかっている……」
二つの事件後、野村がリクルートに求めた「要請」
116号事件は、1987年1月24日、朝日新聞東京本社に散弾銃が撃ち込まれた事件から始まった。実はほとんど報じられていないが、同日、リクルートの江副浩正元会長宅でも発煙筒による放火事件が発生している。また6日前の1月18日には、江副元会長宅前の電柱に、〈悪徳不動産屋、リクルートコスモスの親分、江副浩正を粉断する〉と書かれた糾弾ビラ60枚が巻かれていた。
リクルート元幹部が証言する。
「87年1月の発煙筒事件が朝日新聞東京本社銃撃事件と同じ日に起こっていたということはずいぶん後になって知りました。翌88年8月、赤報隊に江副宅が狙われたので、二つの事件には右翼関係者が何らか関与しているのだろうと思い、得体の知れない恐怖を感じました」
この二つの事件後、野村氏はリクルートにある「要請」をしている。リクルート元幹部の証言を続ける。
「90年頃、野村氏から、サム・エンタープライズへ資金提供をしてくれないかと、しきりに頼まれるようになった。リクルートが盛田さんへ金を出せば、野村さんと財布は同じという構造だと説明された」