リクルートからサムエンタープライズへ1億円を振り込み
赤報隊は江副邸銃撃事件後、1年9カ月間、鳴りを潜めていた。ところがリクルートと野村氏側の間で金銭交渉が続けられていた最中に再び動き出す。
1990年5月17日、名古屋駅近くにあった愛知韓国人会館で放火事件が発生し、「赤報隊」が犯行声明文を出したのだ。盛田氏によれば、野村氏は当時、「配下の人間に発煙筒を使って事件を起こさせた」と明かしたという。この事件は、犯行声明のワープロ文字や用紙が過去の赤報隊事件と同一のものであることなどから、捜査では116号事件と同一の犯行とされている。
リクルート元幹部の記録によれば、野村氏に1億円を支払うことが決定したのは、90年12月。愛知韓国人会館放火事件から7カ月後のことだ。
リクルートは計1億円を2回に分け、翌年にサム・エンタープライズの銀行口座へ振り込む。91年に同社が主催した三浦半島でのヨットレース賛助金という名目だった。
「野村さんへの対策費だと私は認識していた」
1億円を受け取った当事者である盛田氏は、次のように語る。
「リクルートは『また事件が起これば、右翼対策費として出せるかもしれない』という話になり、野村さんは、『わかった』とうなずいた。リクルートがわが社へ1億円も提供するメリットは当時なかったので野村さんへの対策費だと私は認識していた。
金は私が一旦、預かったが、いろんな諸経費などを差し引き、6000万円以上は野村さんに返却した。野村さんがそのカネを誰にどう分配したのかは詳しく聞いてないのでわからない」
リクルート関係者への取材によって、リクルートの社内文書に1億円の支出が明示されていることが確認できた。改めて、リクルート広報部に確認すると、「当時を知る者もおらず資料も見つからないので弊社としては分からない」と回答した。
「文藝春秋」2023年6月号(5月10日発売)では、「朝日襲撃 『赤報隊』の正体」と題した特集記事を26ページにわたって掲載する。野村氏の事務所で実行犯と思しき人物を盛田氏が目撃したとの証言、膨大な捜査資料と関係者への取材を基に、実行犯に迫っている。(「文藝春秋 電子版」では5月9日に公開)。
朝日襲撃「赤報隊」の正体