「文藝春秋 電子版」では、4月13日(木)、放送作家の鈴木おさむさんをお迎えし、本誌編集長の新谷学によるオンライン生番組「小説SMAPと芸能界とテレビの未来 編集長が聞く! 第2回」を配信しました。
鈴木さんが昨年12月、「文藝春秋」創刊100周年新年特大号で発表した話題の作品「小説『20160118』」。人気男性歌手グループの崩壊と再生、最後に一筋の希望を感じさせる物語です。鈴木氏は20年以上にわたり、「SMAP×SMAP」の放送作家を担当していましたが、物語は、2016年1月18日の謝罪生放送の舞台裏を想像させます。創作の動機、作品の背景、今後の展開など、作品について鈴木さんはほとんど語ってきませんでしたが、新谷は生配信中にズバッと斬り込み、核心に迫りました。
その模様のテキスト版を一部転載します。全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
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ゲッターズ飯田の予言
新谷 みなさん、こんばんは。「文藝春秋 電子版」のオンライン番組をいつもご視聴いただき、誠にありがとうございます。新番組「編集長が聞く!」第2弾、ゲストは鈴木おさむさんです。
鈴木 よろしくお願いします。
新谷 「編集長が聞く!」は先月が初回だったのですが、渦中の人物になかなか聞けないことを、単刀直入にお尋ねする新番組です。第1回のゲストは、自民党政調会長の萩生田光一さん。中学時代の野球部の先輩で、めちゃくちゃ怖かったんですけど(笑)、統一教会の問題から八王子不良伝説まで、ズバッと聞きました。コメント欄に統一教会問題を取材している鈴木エイトさんが乱入したり、初回から盛り上がりました。
鈴木 よく出ましたね、萩生田さん。
新谷 本日が第2回です。鈴木さんに来ていただいたきっかけは、なんといっても昨年12月に出た「文藝春秋」創刊100周年新年特大号で、小説を書いて頂いたからです。
お読みいただいた方もたくさんいると思いますが、お書き頂いた「20160118」という小説が大反響を呼びました。我々は「小説SMAP」と勝手に呼んでいるんですが。この小説が世に出た経緯をあまり知らない方もいると思うので、そのあたりからお話いただけますか。
鈴木 まず、新谷さんが「文藝春秋」の編集長になったとき、僕も『僕の種がない』という男性不妊の小説を出したタイミングだったので、巻頭随筆を書かせてもらったんですね。放送作家も作家のはしくれなので、「文藝春秋」に書かせていただくことはとても光栄だと思っていました。
その後、新谷さんから「相談がある」という連絡をもらって、その時点で嫌な予感がしたんですが(笑)、食事をしながら話をしたら、「文藝春秋」創刊100周年記念号でSMAPの謝罪放送から解散に至るまでのことを書いてもらえないかと。
最初は「何を言っているんだ、この人は?」と。普通の人だったらすぐに断る話ですよ。でも、自分の中でふつふつしているものがあって。僕はSMAPと仕事をしてきて学んだことを、どこかで小説にしたいという思いは以前からあったんです。
ただ、新谷さんからはファンの発想としては見たくないだろうというスキャンダラスな面も含めて小説で、と言われた。やっぱり無理かもしれないと悩んでいたときに、ハッとしたのは、新谷さんが「まだ世の中が興味あるうちに」と言ったんです。
僕らは当事者なので、70歳になっても80歳になってもあの日のことを忘れるわけがない。でも、昔のキャンディーズや山口百恵さんに対して、ある世代は熱いですけど、ほぼ風化されていくじゃないですか。僕が当事者だから、傷が深いままだと思っていたけれど、今こそチャレンジしてもいいかもしれないと思った。
あと、実は去年の9月に、仲良しで占い師でもあるゲッターズ飯田から「今年の秋くらいに、自分の何かをまとめる大きな仕事がある」と言われていて。何かをまとめるすごい仕事……映画かな? と思っているときに新谷さんから話があった。そういう縁もあって、書いてみようと思ったんですね。
新谷 この相談でOKをもらうハードルは高いと思っていました。普通の人なら、絶対に断るよなと。ただ、おさむさんは普通の人じゃない。これは誉め言葉ですが、リスクはあるけどめちゃめちゃ面白くなる道と、安全でほどほどに面白い道があれば、本能的に前者の方に引っ張られる人間だ、それに忠実な人だろうという予感があったので。
鈴木 ただ、新谷さんが「週刊文春」にいるときに、「週刊文春」の記念号で書いてくれないかと言ってきていたら、お断りしていたかもしれない。僕なりに「文藝春秋」100周年の重みを感じていました。
ただ、全然筆が進まなかったですね。
「謝罪会見の台本を書いた人でしょう?」
新谷 けっこう時間はかかりましたよね。私もしつこくならない程度に「どうですか」とメールを送ると、「今週中には」「ごめん、次の週末には」みたいに延びていったので、おさむさんが苦戦しているというのは感じていました。
鈴木 点と点がつながらないと、なかなか書けない。その点がなかなか出てこなくて、めちゃくちゃ時間がかかりましたね。
新谷 タイトルの「20160118」は、かなり早い段階で固まっていましたよね。
鈴木 あの日が、僕の放送作家人生で一番つらかったですね。新谷さんにカンニング竹山くんのライブ「放送禁止」に協力してもらうために初めて会ったとき、僕に対して、「謝罪会見の台本を書いた人でしょう?」と言ったのを覚えていますか? なんてデリカシーのない人なんだろうと(笑)。でも、新谷さんにそう言われたときに、「人生で一番作りたくないものを作ってしまった」けれど「世の中の人にあの番組を作った人だと思われているんだ」と思ったんです。
あの放送の後、僕のツイッターも荒れました。フジテレビの番組ですが、放送された映像が翌日にはワイドショー素材として全局に配られていました。そんなことはこれまでにないことです。