「僕も加害者。逃げちゃいけない」
新谷 一番書いていてつらかったのはどこですか? 「ソウギョウケ」が出てくるあたりでしょうか。
鈴木 そうですね。あの部分はやはり……。あとは自分も加害者だという点で、プロデューサーの「ハルタ」と演出の「ノグチ」と「僕」が生放送の台本を持って、「ツヨシ」の控室に入っていくシーンですね。あのときのことって、今でも3人で話すんですが、書くのがとにかくつらかった。
あのとき現場にいて、究極を言えば「うるせえバカヤロー!」と暴れて抵抗することもできたわけじゃないですか。「お前ら、何してんだ!」と言って。でも結局、それもしていない。だから大事なのは、自分もあの場に作り手として存在していて、僕も加害者であるということ。そこを忘れちゃいけないし、そこから逃げちゃいけないと思ったんですね。
新谷 おさむさんの贖罪意識、自分も加害者側で罪を背負う側だというのはよく伝わってきます。小説のなかで言うと、
僕らはなぜその言葉を言わなければいけないのかを話さなかった。言えなかった。
すると、彼は、その目を僕らに向けた。
そして言った。
「わかった」
と、一言だけ。
彼は分かっていたはずだ。自分がその言葉を言うことでどうなるのか?
この言葉を誰が言わせようとしているのか?
理由も聞かなかった。
そして、僕らが彼の優しさに甘えて、お願いをしに行ったことも。あの目は全部分かっていた。
なのに。なのに、「わかった」と言ってくれた。
私もここの場面は読んでいてつらかった。
鈴木 そこは、でも熟考したわけでもなく。
新谷 淡々と書いていますね。でも、小説としてのクオリティも高いと私は思っています。編集部に来た感想としては、よく書いてくれたという声が多かったですよ。
鈴木 最初はショックというか、ハレーションもすごく起きていたんですが、時がたつにつれ、理解してくれる人が増えていきました。
僕の知り合いの人でも、「あんなの、何で書いたの?」という人もいますし、反応は分かれます。でも、20代の若い起業家の人たちと話すと、とても応援してくれます。若い人たちから見ると芸能界って今でも唯一、変化していく時代に閉ざされているところが多いじゃないですか。だから、僕が書いた勇気を評価してくれるというか。
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鈴木おさむさんと「文藝春秋」編集長の新谷学によるウェビナーのテキスト版全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
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