文春オンライン
「僕は飯島さんに育ててもらったと思っている」鈴木おさむが“小説SMAP”を書いた本当の理由

「僕は飯島さんに育ててもらったと思っている」鈴木おさむが“小説SMAP”を書いた本当の理由

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : エンタメ, ウェビナー, 芸能, テレビ・ラジオ

note

体調を崩しながらも書き上げた

新谷 ご覧いただいている方はお分かりだと思いますが、小説「20160118」は鈴木さんが放送作家として手掛けられた「SMAP×SMAP」、通称「スマスマ」の公開謝罪会見が生放送で行われた日をテーマに書かれています。

 編集部がサブタイトルとして、「SMAPのいちばん長い日」とつけましたが、元ネタは「日本のいちばん長い日」。戦争をやめるという天皇の聖断を書いたノンフィクションですが、SMAPにとってはおそらくあの日が「いちばん長い日」だった。書いているときは、おさむさんは体調を崩したと……。

鈴木 めちゃくちゃしんどかったですね。本当に体調が悪くなりました。何度、「もう無理です」と言おうかなと思いましたが、作家と名乗っている以上、残すべきだと思いました。これを読んだメンバーの気持ちも考えますし、ファンの人たちがこれを読むことで、悲しい気持ちを思い出す人もいるというのも思いましたけど、どうか最後まで読んでくれたらという気持ちで書いたんですよね。

ADVERTISEMENT

新谷 最初に読んだとき、読み進めるうちに胸が苦しくなってしまって。感想のメールに書いたと思うんですが、鶴が恩返しで自分の羽を一本一本抜きながら、自分の身を削りながら綴っている、自分の身をそぎ落として言葉を紡いでいくような原稿でした。

鈴木 「スマスマ」の最終回で歌の収録があったんですが、収録の後にメンバーがスタッフ一人一人と写真を撮る時間がありました。それがとても良かったので、放送もしたんですが、じつは僕はそこに行っていない。

 なんで行かなかったのかと言えば、そこに飯島さん(三智、SMAPの元チーフマネージャー、SMAPが解散に至る過程でジャニーズ事務所を退所した)がいなかったからです。僕は飯島さんに育ててもらったと思っているし、「SMAP×SMAP」のチャンスをもらったのもそう、クレイジーな発想・企画を教えてもらったのもすべて飯島さんです。あの人が現場にいないなら、僕も行ってはいけないと思った。

 だから、「SMAP×SMAP」の最終回が撮り終わって、放送されても、自分のなかではまだ終わっていない。この小説を書いたことで、終わってはいないけど、自分の中で「丸」、もしくは「点」はつけられた。

「SMAPのいちばん長い日」と書かれていますけど、あの日は午前2時、日曜日の夜中に呼び出されたんです。その日は野沢直子さんと渡辺直美ちゃんとやっている舞台がすごくよくて、終わった後にみんなでクラブに行こうという話になりました。クラブに行って「久々に来ると楽しいね」なんて言っていたら、呼び出しがあって。日曜の夜中の2時にどういうことだ? と思いましたよ。それからずっと寝ずに、あの生放送を迎えた。

 翌日が雪だったんですが、その日は妊活休業していた奥さんの久々の復帰の日だったんです。僕がはじめて、人生で一人で子どもの面倒を見なくてはならないという日で……。

新谷 おさむさんにとっても、いろいろなものが重なっていた。

鈴木 そうです。でも朝まで帰れないし、朝に帰ったら奥さんも怒りを爆発させまして。でも、何があったかもよく言えないじゃないですか。本当に長い一日でしたね。

新谷 その緊迫した雰囲気が小説にはビビッドに書かれていますね。生放送をする日の朝、「タクヤ」というメンバーと電話しているシーンも印象的です。

「ベビーの面倒はちゃんと見ろよ」

 彼らしい言葉。少しだけ僕の中にたまっていた緊張が抜けた。

鈴木 まさに、あのときの自分を反映しています。その日、妻が仕事復帰で初めて一人で子どもの面倒を見るわけですが、当然泣くんですよね。彼と話しているときの電話口でも泣いていた。

 いま、質問が来ていますが、「このシーンが書けてよかったというのはどこですか」と。ひとつは「シンゴ」が、最終回が終わってスタッフが撤収しているときに、自分たちが歌ったステージにキスをするのをプロデューサーが見る場面。あの日のことを書くために、改めて周囲の人にあの頃のエピソードを聞いたんですが、そういうことを書けたのが良かったですね。