ベイスターズの試合ではあまり目にした記憶がないほど不穏な雰囲気に包まれた、5月20日のスワローズ戦。牧秀悟選手、佐野恵太選手に次ぎ宮﨑敏郎選手がチームとして3つ目のデッドボールを受けた7回、ブルペンまで含め両チームの選手がマウンド付近に入り乱れ、もみ合う寸前に。その輪の中へと先陣を切ったのが、勝ち越しの2点タイムリー二塁打を放ったばかりの関根大気選手でした。

 この日、今シーズン5度目のヒーローインタビューを受けた後、取材対応してくれた関根選手は「僕個人の思いですが」と前置きした上で「詰め寄った場面は、あれ以上相手投手が厳しいボールを簡単に投げる状況にしたくなかったのです。主力選手のけがにも繋がります。お互い乱闘になる空気ではありませんでしたが、一言発しておくべき状況で、それがチームへの思いです」と。

 その瞬間こそ心配しましたが、関根選手が持つ野球への引き出しとチームに寄せる気持ちを、また一つ垣間見ました。実に、たくましい選手です。

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関根大気 ©時事通信社

「自分の居場所を自分でつかんだ選手」

 6月2日金曜日からのライオンズ3連戦は1998年の日本シリーズを思い起こす場として当時のユニフォームで戦うとのこと。中継の準備のため25年前の様子を振り返る機会が増えました。今も、すらすらと浮かぶ不動のオーダーの強烈さに圧倒される一方で、現在のチームの魅力にも辿り着きます。

 今、ベイスターズは「それぞれの個性を繋いでチーム力を引き出す選手」が脚光を浴びる場面が多く、その代表が関根選手です。

 もちろん1998年にも万永貴司選手、井上純選手、選手会長の畠山準選手を始め、難しい局面を見事に整え、勝利に導いてくれる存在がありました。でも関根選手の輝きは、また異次元。5月22日現在宮﨑選手に次ぐリーグ2位の.364と驚異的な打率でチームを活気づけます。

 4月27日のスワローズ戦、延長10回のサヨナラタイムリー二塁打、5月18日のカープ戦で6打数5安打。さらに印象深いのが4月6日横浜スタジアムでのジャイアンツ戦。両チーム無得点の5回1死一塁三塁、打席には東克樹投手。絶妙な三塁線のバントを岡本和真選手が処理し一塁送球、その間に三塁ランナーだった関根選手が間一髪、先制のホームイン。「小さな可能性でしたが挑みました」と振り返る走塁が決勝点を生みました。

 関根選手が常に相手の間隙を伺う姿を目にしていたこと、さらにtvkの放送席は三塁寄りに位置しているため目の前で息吹を感じたことも手伝い、関根選手が三塁ベースから絶妙に離れた瞬間「ホームを突く!」と直感でき、私にとっても貴重な実況でした。

4月6日ジャイアンツ戦、関根選手ホームイン ©tvk

 石井琢朗チーフ打撃コーチは関根選手を「自分の居場所を自分でつかんだ選手」と評し、関根選手は「石井コーチから自分の感性を大切にして欲しいと言われています」と。かつてライオンズとの日本シリーズ第1戦で石井琢朗(当時)選手が先頭打者としてセーフティバントを決めた様に想像を越えるインパクトを、関根選手によって目撃する日が来るかもしれません。

 関根選手は今年が10年目。期待と声援を受け続け、いよいよ取り組みが注目される数字として表れたのが今シーズンという感覚です。10代の頃から伺った言葉の一部が取材メモや中継資料に残っていますが、当時から一貫して前を向く力があり、受け答えも誠実、気遣いも抜群でした。活躍にはさほど違和感がありません。

「ここまで、僕はたくさん失敗していますから」

 2015年、2年目の開幕戦で当時ジャイアンツの澤村拓一投手から代打でプロ初本塁打を放った後には「開幕スタメンを目指していたので、正直悔しかった。ホームインするという自分の仕事は少ないチャンスの中で果たせた」と。

 翌2016年はオープン戦で右肩を脱臼するも4月下旬に復帰し、歯を食いしばりながら1軍に定着。初めて経験したクライマックスシリーズに際して「わくわくする思いと同時に、負けたらファンにとってのシーズンも終わってしまうと思わせてくれる程、幸せな声援」と話しました。

 当時のラミレス監督は「レギュラーにアクシデントがあれば即カバーする力がある、起用の幅が広い選手」と評価。

 それでも、外野手の争いはレベルが高く、2017年にはオープン戦で.476の打率を残しながら開幕スタメンが叶わず「他の人が積み上げたものに追いつけなかった。7割、8割打つ必要があった」と唇を噛みました。

 その後チームの上昇カーブに反して関根選手の数字は右肩上がりになりません。2019年には年間でわずか1安打。当時の取材メモには、関根選手の取り組みと期待を寄せる首脳陣との狭間で、悩む様子が残っています。

 この年のオフ、メキシコのウインターリーグに参加したことが一つの転機でした。言葉の壁、十分とは言えない環境の中で、普段行う準備ができない経験も。その中で「自分のルーティンができないことで結果が出ない状況には、絶対にしたくなかった」と、準備を吟味して調整し環境にタフに順応しました。

 同じ頃、関根選手のひたむきな姿勢に共鳴した絵本アニメクリエイターのtwotowtow(ににに)さんと実現した「振り続ける展」という企画展が開催され、関根選手が野球に向き合った少年時代を描いたオリジナルの絵本、幼少期の写真やユニフォームを展示。年明け1月には横浜の赤レンガ倉庫でも開催され、メキシコに滞在中の関根選手とファンがオンラインで交流もしました。企画展を取材した際、関根選手のバイタリティに心動かされ、より深く話をするきっかけになっています。

関根選手を描いた振り続ける展のカード ©吉井祥博

「もう、自分が悩み、ぶれてしまうことはやめました」と臨んだ2020年は1軍昇格ならなかったのですが、ファームで打率.301、出塁率.427と、今1軍で残している数字を彷彿する結果が。その躍動を目の当たりにしていたのが、この年ファームで指揮を執っていた三浦大輔監督でした。

 一昨年2021年からは2年続けて100試合以上出場。左投手への強さも顕著になりいずれの年も対左が.333(この数字、今年は5月22日現在.366です)、走攻守全てにチームが求める役割を担いました。左投手について関根選手は「打てる!と決めています。相手が自分に左投手をぶつけてきたらチャンス到来」と考えます。

 昨シーズンオフには2度目のメキシコへ。所属したチームのコーチから「楽しんでいるかい。野球は難しい。だから君が楽しく野球ができていればそれだけで成功だ」と言われました。なるほど、今シーズンの笑顔は一層爽やかです。

 今年の飛躍を三浦監督は「もともとできる選手。その確率が少し上がったかな。積極性の中でどこか冷静です」と表現します。

 今の活躍に関根選手自身は「ここまで、僕はたくさん失敗していますから。でも挑戦を諦めませんでした。自分は誰かの支えで、この場にいます。守備に就ける、打席に立てることは結果以前に嬉しく、感謝しています」と即答。加えて「このオフ、またメキシコに行きたいと思っています。妻からは今シーズン成績を残したらね、と言われたので、けがをせずしっかり戦い続けます」と話してくれました。

 オースティン選手も1軍に復帰し、やがてチームはもう一段二段と戦力が融合するでしょう。ひたむきな野球愛に視野の広さが備わって10年目。関根選手が見る人の心を躍らせ、あらゆる方法でチーム力を引き出し続けるなら、「25年ぶり」はきっと手が届く挑戦のはずです。

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