手練れの業界ウォッチャーが、新聞報道にもの申す! 月刊「文藝春秋」の名物連載「新聞エンマ帖」(2023年6月号)を一部転載します。
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立憲民主党の小西洋之参院議員を巡る紙面で本当に困るのは、何が問題の本質なのかが行方不明になることだ。
小西氏が国会で指弾し続けた放送法の解釈変更問題も、真の焦点が「変更の事実」や「官邸の圧力」の有無なのか、「高市辞任」の成否なのかがわからなくなった。何より、本人の役職辞任につながった数多ある「不適切な発言」のうち、どれが本当に一番深刻なのかが不明である。
例えば、小西氏の党参院政審会長辞任を伝える4月12日朝刊。産経は「衆院憲法審査会のメンバーをサルに例えた」発言に加え、「サル発言を報じた報道機関への圧力とも受け取られかねない」発信について言及する。朝日も、「元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だ」との小西氏のツイッター投稿を例示し「放送局を威圧する発信」と断じた。
不思議でならない。小西氏は、参院憲法審査会の野党筆頭理事を更迭された後も、「産経記事は名誉毀損」「朝日の政治部はここまで劣化しているのか」などと投稿を続けた。読売が3日に配信した記事をはじめ、それは周知の事実だろう。産経と朝日はまさに、「圧力」「威圧」を受けた当事者だったはずなのに、言及がない。
立憲民主党側が処分の理由を国会での不始末にとどめたいならまだ分かる。だが、いち早く「サル発言」を報道した産経と、あれほど放送法を巡る安倍官邸の対応姿勢を追及した朝日がなぜ、我が身に降りかかった「圧力」の事実を処分の節目で明記しないのかが分からない。
売られた喧嘩を買うほど、軽率でないと思うのか。ただ、少なくとも、これが政権・与党の幹部発言であれば、社説や政治部長論文などで筆誅を加えなかったはずがない。「野党第一党」が相手だとこうも筆先が鈍るのだろうか。
それでなくとも、この不適切さは党の体質とさえ思える。民主党時代も、前原誠司政調会長が「言うだけ番長」と書いた産経を記者会見から排除して批判を浴び、撤回を余儀なくされた。立憲民主党の結成後も、安住淳国会対策委員長が「すばらしい!」「くず0点」などと各紙を論評した張り紙をし、やはり謝罪に追い込まれた。
選別意識が濃厚に漂う。良いことを書く社は友、悪いことを書く社は敵、といった単純な選別法である。小西氏の「ここまで劣化しているのか」との朝日に対する発信は、友だと勝手に思い込み過ぎた結果の過ちとしか思えない。
そう思うのだが、それだとやはり、今回の「無言」は謎である。政権だろうが野党第一党だろうが、不当な圧力には屈しないという報道姿勢を知らしめるまたとない機会ではなかったか。