週刊文春連載時より反響を呼び、昨年末に単行本となった水道橋博士さんの『藝人春秋2 上 ハカセより愛をこめて』『藝人春秋2 下 死ぬのは奴らだ』。濃厚な登場人物の中で、博士がひときわ力を入れて描き出したのが寺門ジモンさん。驚きのエピソードより一部を特別公開します。
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「聞いてないよぉおぉぉ!!!!!!」
2012年11月30日――。
ついに「武井vsジモン」が今まさに、目の前で繰り広げられるかと思うと、ボクは高まる興奮を抑えきれなかった。
この世紀の一戦へと読者の諸君を案内する前に、拙著『お笑い 男の星座』などからジモンがどれほど尋常ならざる人物であるか、許された紙幅で要約しよう。
発端は2001年5月11日――。
当時、テレビ朝日で生放送されていた金曜深夜のバラエティ番組『虎ノ門』の芸人討論企画「朝まで生どっち」で、「芸能界一ケンカが強いのは誰か!?」を論じる回があった。
渡瀬恒彦、大木凡人、和田アキ子……、その日、パネラーたちがそれぞれの人選で最強説を持ち寄るなか、ジモンだけが本番前の楽屋で、「オオオイッ! オッ俺が一番強いに決まってるだろ!」と、まさかの自薦の論陣で討論を待ち侘びていた。
しかも、人類史において、現役ではヒクソン・グレイシー、過去を振り返ってみても大山倍達と宮本武蔵のみが自分と同じ境地であると、一方的にまくし立てるジモン。
そのビッグマウスに鼻白む周囲とは異なり、私生活で酒も煙草も人付き合いも絶ち、芸人仲間から変人扱いされているジモンの肉体鍛錬ぶりを熟知するボクは、その強烈な自己愛、自惚れにさえ、仄かな信憑性を感じ取っていた。
一度でもその肉体を見れば、必ずや同じ思いを抱くはずだ。
ジモンは、サプリメントを含め薬物を服用することはもとより、筋肉形成を効果的に補うプロテインをも摂取せず、ジムのマシンすら使わず、“プロレスの神様”カール・ゴッチと同じ己の体重だけを利用したトレーニング方法を30年間、1日も欠かさず続けてきた。
その日常を貫き通すことだけで、ジモンはボディビルダー的な「見せる筋肉」ではなく、柔軟で強(したた)かな、実戦性だけに特化した闘う筋肉を全身に纏(まと)っていた。
しかし、この話がお笑い種なのは、ジモン自身に「他人と闘った実戦経験がない!」という点だ(彼に言わせれば、そもそも「オレが強すぎるからケンカを売ってくるヤツがいない!」そうなのだが……)。
「強い人間は遺伝子レベルで、オッ俺の強さが分かるのよぉ! 百獣の王ライオンは見境なく他の動物を襲わないし、ライオンを襲う獣もいないでしょ!」
このように、たとえ武井壮が今さら「百獣の王」を標榜しようとも、もともとそのフレーズすらも以前からジモンの異名であり、専売特許だったのだ。
自信満々のジモンは、「ノールールのバーリトゥードで、場所は山の中」という自分発の条件下でなら、ヒクソン・グレイシーですらいつでも倒せるとまで断言する。
そう、ジモンの強さの前提は、山の中で闘うゲリラ戦なのだ。
その主戦場としての“山”へのこだわりは、「オオクワガタ捕獲チーム」を自ら組織し、年に数回、自主的に山籠りを敢行しているところに拠る。
ジモンが注ぐ情熱は、飼育・養育用にマンションを一部屋借り上げ、オオクワガタに「大奥」を用意するほどで、捕獲のための山籠りは、通称「地獄の特訓」も兼ねている。
例えば、山中では匍匐(ほふく)前進のみの移動を自らに課したり、木の上で一晩睡眠したり、ヤクルト1本とバナナ1本だけで活動限界を測る人体実験を試み、それら食料が尽きれば自給自足のサバイバルに移行するといった具合。やってることは、モノズキの域を超え、完全に練兵レべルだ。
そもそも山籠り歴は子供の頃からで、愛読漫画『空手バカ一代』の中から、極真空手の創始者・大山倍達が、恐怖に負け、決心が揺らいでもすぐに下山できぬよう片眉を剃ってから山に入って修行した有名な一コマを真似て実践したり、自然石割りや指立て伏せといった漫画的なシーンまでも、本気で修練して成功させてしまったという。
そんな少年時代を過ごしたジモンは、足指を類人猿のように自在に曲げる鍛錬で、現在でも、足をコブシのように握れるようになっているが、なんと9歳までは、鉄棒にコウモリのように足指だけでぶら下がれた……という眉唾エピソードまでがワンセットの自慢話となっている。