“試合に出場する喜び”を体いっぱいに表現できる選手
プロ12年目の今シーズン、桑原は、ここまで定位置だったリードオフマンではなく、5番打者や下位打線を任されている。慣れぬ環境ではあるが、それでも打率.323、出塁率.344(5月29日現在)と上々の数字を残しており、またチーム一番の守備力で首位攻防に挑むベイスターズを支えている。
長年、桑原を見ていて思うのは“試合に出場する喜び”を体いっぱいに表現できる選手だということだ。過去、レギュラーをはく奪され苦しんだ時期もあったからこそ、その様子はより鮮明になる。
ギラついた太陽のようにまぶしい、自他ともに認める“野球大好き男”。グラウンドに立ってプレーしなければ意味はない。
そういえば桑原は高校時代、他の野球部員の不祥事で対外試合の出場を禁止されていた時期があったのだが、とにかくプレーをしたくて仕方のなかったひとりの球児として、あのときはどんなことを考えていたのだろうか。
「ああ、そんなこともありましたね。まあプロ目指してがんばっていたので試合に出られないのは悔しかったし、歯がゆい気持ちも強くありました。けどもう練習するしかないんだったら練習するしかない。1週間も経てば気持ちは切り替わりましたし、ここはやることをやるしかないって」
気持ちを切らさずに努力をした結果、高校卒業後、桑原は念願のプロ野球選手になった。誰よりも必死に練習をし、3年目の2014年に内野手から外野手にコンバートされると一軍に帯同されるようになった。
もし、あのとき外野手にコンバートされていなかったら、今どうなっていたのだろうか?
「たぶんスーツを着て他の仕事をしていたんじゃないですかね。球団には感謝していますし、今はこだわりをもってセンターの守備をやらせてもらっています」
競争の世界。サバイブするためには、自分に適した場所を見つけ、能力を高めなければいけない。振り返ればドラフト同期は、髙城俊人が昨年現役引退したことで、最後のひとりになってしまった。
「僕だけになっちゃいましたね……」
桑原は少しだけ寂しそうな風情を漂わせそう言った。
「ただ、皆が厳しい世界であることはわかっているし、結果を出せなければ去らなければいけない。僕もね、絶対にそうなるまいともがいて、しがみつきながらやっています。自分が大丈夫だなんて一度も思ったことはないですよ。正直、いつも不安だけれど、それに打ち勝たなきゃいけないって」
不安が襲う苦しい時間、一体どんなことを頭の中に浮かべるのだろうか。そう訊くと、桑原はしばし考えにふけり、ゆっくりと口を開いた。
「僕は、そういうとき自分を支えてきてくれた人たちの顔を思い出すんですよ。自分ひとりだけの悩みじゃない。自分ひとりのためにどれだけの人が時間を費やしてくれたか計り知れない。だから落ち込んではいられないし、くじけている場合じゃないんだって」
支えてくれてきた多くの人の行動や想いが、今の自分の血肉を作っている。だから桑原は、自分自身を決して馬鹿にすることはできない。
紆余曲折を経ながら、桑原も今年の7月で30歳になる。そのプレースタイルから、いい意味で“永遠の若手”のように見えてしまうガッツマンだが、考え方は年相応に練り込まれてきているようだ。
「いや、けど僕はやっぱり“永遠の若手”ですよ。少なくとも気持ちは(笑)。これからも溌剌としてがんばります!」
桑原の元気がいいときは、決まってチームは順調だ。気になるのは、桑原がセンター同様にこだわりを持っている“1番打者”に、いつ戻れるのかである。もちろんチーム事情もあり首脳陣の考えも理解できる。とはいえ、やはり適性を考えれば、切り込み隊長としてグラウンドで躍動するリードオフマンの桑原の姿を見てみたい――。
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