5月2日に公開されたコラム(「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”)に多くの反響をいただき、ありがとうございました。

 僕としては特別なことをお伝えしたつもりはなく、ありのままのお話をしたつもりでした。それなのに文春野球コラムの歴代最多HIT数を記録したと聞き、驚きました。現役時代はヒットを打たれないようにしていたので複雑ですが、うれしかったです。

 公開前に妻に原稿を見せたところ、妻は「真剣に見られない」と言っていました。油断すると泣いてしまうというので、僕がいない時に読んでもらいました。妻のもとにも好意的な反響が多数寄せられたようです。

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 そんななか、多くの読者の方が僕に対してこんなイメージを持っていたと聞きました。

「田原さんって、球団に中継ぎの待遇改善を訴えた人だよね?」

 今から5年前、2018年の契約更改で僕は保留しました。巨人の契約更改保留は7年ぶりで、ちょっとした話題になりました。そこまでして訴えたいことがあったのです。

 今年の巨人も「魔の8回」と言われたように、リリーフ陣が課題になっています。今回は僕の体験談を通して、リリーフの過酷さについてお伝えできればと思います。

現役時代の筆者・田原誠次 ©時事通信社

準備不足でマウンドに行く現実

 僕がプロ入りした2012年。巨人のリリーフ陣はピースがピタッとハマっていました。抑えに西村健太朗さん、セットアッパーに山口鉄也さんとスコット・マシソンという盤石の3人が控えていました。そこへロングリリーフもできる福田聡志さん、左投手なら高木康成さんに高木京介、右のサイドハンドの僕も入っていました。

 僕は新人でしたが、「先発が5回まで投げたら勝てる」と思っていました。リリーフ陣の誰が投げるのか順番が読みやすく、安心して準備できました。案の定、その年に巨人は日本一になっています。

 でも、次の年からは「これだと日本一は難しいのかな?」と感じることが多くなりました。

 プロ野球はすべての選手が過酷ですが、中継ぎ投手はとくに選手生命が短い仕事です。なぜかと言うと、準備不足でマウンドに行かなければならないからです。

 東京ドームのブルペンは屋内にあるので、ファンの方には見えません。リリーフ起用が告げられた投手は、100パーセントの状態だと思われているはずです。でも、実際にはブルペンでほとんど投げられないまま、名前をコールされるケースもあるのです。

 監督の采配に対して一選手がどうこう言えるものではありませんし、頼られれば多少無理してでも「大丈夫です」と答える。それが中継ぎ投手の性なのでしょう。

 もちろん、ブルペンでは「この展開なら次は誰が投げるか?」ということを想定して、準備しています。でも、選手が「そろそろ肩をつくろう」と準備しようとすると、コーチから「まだつくるな」とストップがかかることがあります。そこで準備をやめると、監督が投手交代を決めて、その投手の名前を呼ぶ。結局、その投手は打たれて2軍に落とされる。そんなことが続くと、とくに若手投手は不安になります。

「ここでつくっていいのかな?」「コーチに怒られるかな?」

 試合で結果を残す以前に、プレーに集中できていないのです。正直に言って「なんでこんなに、ベンチとブルペンの意思疎通が取れないのかな?」と思っていました。

 プロの強打者を抑えることは簡単ではありません。100パーセントの準備をしても抑えられるかわからないのに、準備をしていない状態でマウンドに上がれば打たれる確率はさらに高まります。僕自身、実際にブルペンで投げてもいないのに起用されたことは多々ありますし、ブルペンにもいないのに名前を告げられたことまでありました。

 ある時、他球団の選手から「田原さん、今日は全然肩つくってなかったでしょ?」と言い当てられてドキッとしました。その選手はこう続けました。

「ベンチでみんな言ってたよ。『絶対できてないやん』『2日連続緊急登板やな』って。全然ボールきてなかったですもん」

 相手チームに悟られているようでは……と思わずにはいられませんでした。

 プロ5年目の2016年、僕は自己最多の64試合に登板しました。でも、肩はつくったけど投げなかった試合も、たくさんあるのです。ある取材で「143試合中128試合で肩をつくった」と答えましたが、当時の手帳を読み返してみたら違いました。登板した64試合の2倍はつくっていると思って「128」と言ったのですが、実際にはそれ以上肩をつくっていたのです。

 その年のオフ、僕は契約更改時に「ブルペンはこういう状態です」と包み隠さず球団に伝えました。