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『あっぱれさんま大先生』出身・加藤諒が語る“生き残る”ということ

テレビっ子・加藤諒さんインタビュー #1

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てれびのスキマさんによる各界「テレビっ子」インタビュー、12人目のゲストは一度見たら忘れられない個性派俳優・加藤諒さん。『あっぱれさんま大先生』にも出演していた元子役の知られざる“人生”をたっぷりと! (全3回 #2#3に続く)

加藤諒さん、インタビュアーはてれびのスキマさん

最初のテレビの記憶は……

加藤 お久しぶりです!

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―― おお、覚えていていただいて。2016年の年末にある雑誌で「来年のカルチャー予想」みたいな対談させていただいて以来ですね。

加藤 その時に「『僕たちがやりました』っていう漫画が実写化すると思う」って言ったら、実現して自分がそのドラマに出たんですよ!

―― ああ、そうでした!

加藤 あと、「昭和ブームが来る」みたいな話もしたら、平野ノラさんのブームが来たり。

―― 予想、ズバズバ当たってましたね! そんな加藤さんの一番最初のテレビの記憶ってどんなものですか?

加藤 やっぱり『おかあさんといっしょ』ですかねー。小っちゃい時の写真とか見ると、じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりの着ぐるみと写真撮ってるやつが出てきますから。あとは『ウルトラマン』。戦隊シリーズや『仮面ライダー』よりも、『ウルトラマン』をビデオで見てたっていうイメージがありますね。戦隊ものだと、『(忍者戦隊)カクレンジャー』と『(五星戦隊)ダイレンジャー』は見てました。なので、伸びる如意棒みたいなおもちゃとか持ってましたね。

―― ダイレンロッドですかね。

加藤 あと『(美少女戦士)セーラームーン』も見てました! 100パー姉の影響。この間、ホームビデオを掘り起こしてたら、自分で作ったセーラームーンのかつらをかぶってる映像が出てきました(笑)。

―― 誰が好きだったんですか?

加藤 その時かぶってたのは、色的に見てちびうさでしたね(笑)。今はマーキュリー。清純派ですべてが透き通ってる感じが好きですね。勉強もできるし。小学校になると、堂本剛さん主演の『金田一少年の事件簿』とか、『銀郎怪奇ファイル』とか。『ほんとにあった怖い話』とか『木曜の怪談』とかの怪談系は学校でも流行ってて見てましたね。オーディションも受けてました。

 

変声期前の僕が歌ってる、静岡のローカルCM

―― ダンスを始めたのは5歳。その時にはもう事務所に入っていたんですか? 

加藤 事務所ではなかったんですけど、通っていたダンススタジオ自体がローカルCMのキャスティングをしたり、ショッピングモールのイベント出演をするようなところだったんです。だから地元・静岡のローカルCMには出てました。伊豆修善寺サイクルスポーツセンターのCMの歌を、変声期前の僕が歌ってます(笑)。静岡では今でも流れてるんじゃないかな。

―― CMを実際にテレビで見てどう感じましたか?

加藤 恥ずかしかったです。自分の声って自分で聞いてる時とテレビを通して聞く声とで違うじゃないですか。それが慣れないのもあって。あと、周りから「調子乗ってる」とか言われたりして、目を付けられやすかったです。『あっぱれ(さんま大先生)』に出てたのは小4から小6くらいの時ですけど、「さんまさん、連れてこい」とか言われて。いや、無理でしょ、って(笑)。

 

―― バラエティー番組は何を見てましたか?

加藤 『天才てれびくん』が好きで高校ぐらいまで見てましたね。テレビ戦士になってレギュラー出演したかった! でも、『あっぱれ』に出てるからダメかあ……みたいな、そういうジレンマはありました(笑)。あと楽しみだったのが『8時だJ』。ジャニーズの皆さんが怪奇現象を検証したりする『USO』も好きでした。ちょうどその頃『ガッコの先生』っていうドラマに出ていて、緑山スタジオで撮影してたんですけど、『USO』にちょいちょい緑山スタジオが映るんですよ。で、「あ~、あそこ!」みたいに興奮しちゃって。まだ素人半分ってところがありましたね。