静岡県立大学の女子大生は、スタイルのいいYという出場者と仲良くなった。
「コンテストのために、歯を治したの」
冷やかし半分の女子大生に比べ、Yはやる気満々だった。
「最後におっぱいを見せてくださいっ!」
数十名の参加者が水着になって、審査が進行する。女子大生は、最終審査の10名に勝ち残っていた。
「それでは皆さん、最後におっぱいを見せてくださいっ!」
司会者が大声を発した。
え? 胸?
女子大生は戸惑った。隣のYは平然とブラジャーを外した。ええ? みんな取っちゃうの?
女子大生は大喧嘩したとはいえ、彼氏以外に、胸を見せたことはなかった。公衆の面前で、カメラマンたちのフラッシュの嵐のなかで、脱げというの?
だが勢いというのか、若さというのか、80年代初頭という熱気がそうさせたのか、女子大生も自分でブラジャーを取った。
オーッ!
どよめき。
静岡県立大学の女子大生の乳房は、出場者のなかでもっとも大きかった。まだ巨乳という言葉も一般化されなかった時代である。
のちに彼女は「Dカップ京子」と呼ばれ、Dカップは大きな乳房の代名詞となるのだった。
優勝者は看護師だったが、大事になっていくことに怖じ気づいたのか、当人が賞を辞退し、第2位のYが繰り上げデビューを果たした。
Yは新婚夫婦がアメリカで銃撃され、のちに保険金殺人ではないかとマスコミが大報道したいわゆる「ロス疑惑」騒動に巻き込まれた。被害者の女性が殺害される前に、ホテルで何者かに殴打された事件があった。その加害者がYだったのである。コンテスト出場のとき、すでにYは殴打事件を起こしていたのだった。
コンテストは出場者の人生を翻弄していく。女子大生は惜しくも入賞を逃したが、東京の取材陣からたくさん名刺をもらい、ヌードモデルの仕事が舞い込んできた。
もっとも当の本人はいたってのんきだった。就職活動を控えていたので、彼女は地元静岡で一番給料が高くて夕方5時には帰宅できる消費者金融の入社試験を受けてみた。本人は受かるつもりだったが、甘えんぼうのような語尾を伸ばすしゃべり方がまずかったのか、落ちてしまった。
そのころ、東京でヌードモデルの仕事があった。手取り3万円。女子大生の初任給が14、5万円の時代、これは大きかった。
静岡県立大学生の最初の仕事は、週刊ポストの女子大生ヌードだった。(続きを読む)
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。