歌舞伎町でヤクザやホームレス、路上で喧嘩する酔っ払いなどを被写体に選び、2017年には「写真界の直木賞」と呼ばれる土門拳賞を受賞した梁丞佑(ヤン・スンウ―)さん。29歳まで韓国で暮らしていた彼は、なぜ日本で写真家の道を志し、歌舞伎町に惹かれていったのか?

 作家・本橋信宏氏の最新刊『歌舞伎町アンダーグラウンド』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

梁丞佑さんが日本で写真家として生きる道を選んだ理由とは? ©駒草出版

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強面で坊主頭の写真家

 久方ぶりに元ヤクザの居酒屋に立ち寄ると、坊主頭に無精髭をたくわえた中年男が店の外に立っていた。

 おそらくその筋の者だろう。

 黙礼して店内に入ると、すでに担当編集の勝浦基明が到着していた。

「紹介します。梁丞佑さんです」

 さっきの強面は写真家だった。

 しかも写真界の最高の栄誉でもある土門拳賞初の外国人受賞者である。

 受賞作品の『新宿迷子』は梁が約8年間かけて、歌舞伎町のヤクザやホームレス、子どもたちをモノクロフィルムで撮った写真集であり、記念碑的作品である。

写真集『新宿迷子』(画像:禅フォトギャラリー公式サイトより)

 歌舞伎町で梁丞佑が接してきた人間の喜怒哀楽が写し撮られている。

 ホームレス、ヤクザ、風俗嬢、子ども、酔客。

 見てはいけないものをすっと目の前に置かれたかのような衝撃を受ける。

 韓国は成人男子に徴兵制が敷かれ、約2年間は軍隊で鍛えられる。韓国男子の体型がいいのもこの期間が大きい。

「(韓国は)軍隊で格闘術みたいなのはあります。基本、テコンドーはみんなやりますよ。僕は高校生までテコンドーの選手だったんです」

 顔だけでテコンドー3段の実力はありそうだ。

 梁丞佑は祭りを仕切るテキ屋たちを撮っているうちに、彼らに溶け込み、みずから屋台で焼きそばを焼くようにもなった。

 梁丞佑が焼く係になると、売り上げが跳ねあがるのだった。

「テキ屋の人たちは、若いころからずっとその世界に入って、夏祭りのときには運転して、すぐ次の日には移動しなきゃいけないから1日数時間しか寝れないんです。これ(注射する真似)やったりして、歯が全部溶けちゃってるんです。前歯がない怖い顔で『いらっしゃい!』っていうよりは、まだ僕みたいにいくらかちゃんとした人が立ってると、同じ場所で同じ物を売っても売り上げが違うんですよ。アハハハ。

 2週間前もテキ屋のなんたらって組の食事会で親分と会ったんですけど、僕を勝手に構成員みたいに扱ってましたけど。アハハハ。僕はただの写真撮るだけの男です」

「でもなじんでますよ」

 歌舞伎町は居場所のない人間の最後に駆け込む場所として機能してきた。

 梁丞佑も居場所のない若者だった。

 梁丞佑は1966年、韓国光州で生まれた。

 梁少年は友だちと遊んでばかりいて、就職もせず、酒びたりの日々だった。