村中がざわついていた。
タクシー事故の話をしているのがわかった。
運転手は救急車で運ばれたが、同乗していた子どもがいなくなったと騒いでいた。
「僕は、硬貨を盗んだのがバレるのが怖くて。1週間は地獄でした。甘いガムの味と硬貨を盗んだ苦味があまりにショックで。それから盗みだけは絶対にしないと誓いました。隠し撮りをするとそれを思い出すんですよ」
「体験しないと撮れないタイプですから僕は」
梁の写真集『新宿迷子』(禅フォトギャラリー)を広げてみた。
デジタル写真ではなくフィルム現像だ。
梁は写真を自分の妄想と称した。すぐにわかるデジタル時代とは異なって、暗室で焼きあがるそのときまでどんなものなのかわからないことは、神秘的でときめきすら感じさせる。
梁の口から写真に写るヤクザたちのプロフィールが語られる。
山口組もいれば、住吉会、極東会もいる。
行方不明になったヤクザもいれば、抗争で命を落としたヤクザもいる。
「割腹して亡くなった人も写ってます。なんで腹切ったのか理由はわからない。この人のお兄さん、まだ現役でやってるんですけど」
ここまで入り込んで撮影できる梁の撮影手法とは――
「僕3カ月くらい、カメラを出さないで付き合います。それから撮影対象に本性を出すんです。『お前、なんだよ。若いのにいっつも酒ばっかり飲んで。仕事もせずに』っていわれて、いや実は、写真撮りたくてって。そこからカメラを出して撮り始めてるんです。テキ屋には1年以上かかりましたね、カメラを出すまで」
それまでずっと焼きそばを焼いていたという梁には、組への勧誘もあった。
「テキ屋が撮りたくて、ぱぱっと撮って帰るのは簡単ですけど、そういうのは自分のやり方に合わないから。そうだ! テキ屋のバイトをやろうと思ってはじめたんです。いま8年になるんですけど、あまりにもお好み焼きや焼きそばの焼き方がうまいから、親方が『お前、店を2、3軒やるからさ、本業にしろよ!』って誘ってくるんです」
テキ屋に混じり生きてきた梁によれば――
「テキ屋の場所取りにはランクがあって、ランクが上なのは、昔は綿あめやってる人が一番えらい人だった。いまはお好み焼きとか。僕は平塚七夕祭りとか行くと、一人で1日100食売れちゃうんです。成田山でもやってるし、正月には門仲でやってるし、花園神社でもやってるし。歌舞伎町ではいま、ホスト撮ってるんです。やっぱり体験しないと撮れないタイプですから僕は。その人たちと一緒に。ホストでナンバー1になってから撮れよっていわれるんですけど、それは無理ですって。ワハハハハ」(続きを読む)
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。