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 ゴールデン街のほとんどの店舗には大家がいて、店子に貸し出す形式である。

「大家さんが1万円のお祝い袋みたいのをくれるから、びっくりして。マンションとかアパートを借りるときはそんなことやってくれないじゃない。大家さんの旦那さんは公務員。わたしが家賃払って3年くらいたったら、新宿に大家さんのビル建ってた。家賃収入って大きいなって思って。アハハハ。ベランダ代はわたしが払ってるな」

 一説にはゴールデン街の店舗所有権の値段は2、3000万円ともいわれている。

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「20年やってきて、景気のほうは山あり谷ありですね。谷はいま(取材時のコロナ第6波)なんだけど。山はラグビーワールドカップのとき。外国人のインバウンド景気がすごくて、この辺は日本人がアウェーみたいになってた。外国人向けガイドブックでゴールデン街のことが紹介されてたり、SNSとかでも広がってるんで。うちもその期間、常連になる外国の人がいた。イギリスの人が多かったかな。1カ月かけて、そこら中にラグビーの試合見にいってた裕福な人も多くて。ニュージーランドの人たちは店の中でハカを踊ったりしてた。アハハハ」

中村酒店 ©駒草出版

 中村京子といえば、Dカップ京子の異名を持ち、80年代『平凡パンチ』をはじめとして数多くの雑誌グラビアのヌードモデルとして活躍した。

 80年代は素人がもて囃された時代だった。

 その筆頭が女子大生であり、中村京子は第一走者になった。

人生を変えた「にっかつ新人女優コンテンスト」

 1982年盛夏。

 静岡県立大学の女子大生は、ささいなことから同じ大学の彼氏と大喧嘩してしまった。

 和歌山県から1人、大学に通うため静岡県までやってきて、最初に付き合った彼氏だった。

 女子大生は、彼氏の部屋に積んであった映画雑誌を広げた。

「にっかつ新人女優コンテスト出場者大募集!」

 ふーん。こんなのがあるんだ。

 ほんとは東京で暮らしたかったんだ。よーし、東京見物がてら、コンテストに出てみよう。彼氏を心配させてやるんだ。

 翌週、数年前にできたばかりの池袋サンシャイン60に彼女はいた。ここの大会議室がコンテスト会場だった。