文春オンライン

《歌舞伎を守れ》演劇評論家・渡辺保氏が評価する市川猿之助「テキストレジの才能」

2023/07/02
note

 

 歌舞伎界を揺るがす事件の一報が伝えられたのは、5月18日午前のことだ。歌舞伎俳優の市川猿之助(47)が自宅で倒れているのが見つかり、意識朦朧の状態で病院へと搬送された。同居する父親の段四郎さん(76)、母親の延子さん(75)は、共に死亡しているのが確認された。

ADVERTISEMENT

自宅周辺には規制線が ©時事通信社

 司法解剖の結果、両親の死因は薬物中毒と見られる。猿之助は回復後、警視庁の事情聴取に対して「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」と、一家心中を図った旨を説明しているという。

 猿之助は1975年、明治から始まる澤瀉屋(おもだかや)の四代目市川段四郎の長男として生まれた。澤瀉屋は歌舞伎界では新興のため傍流とされていたが、猿之助の伯父にあたる二代目猿翁が、宙乗りや早替わりを取り入れた現代的な「スーパー歌舞伎」で一世を風靡して以来、一大勢力に。猿之助自身も『ワンピース』や『新版オグリ』などの新作を手掛け、新境地を開拓。テレビドラマ「半沢直樹」(TBS)に出演するなど、歌舞伎以外にも活躍の場を広げていた。

子役、宙乗り、早替わり

 今、歌舞伎は危機的な状況にあります。若い世代の歌舞伎離れが進み、新型コロナ以降はさらに客足が遠のいた。興行を取り仕切る松竹も、チケットが売れないことには商売上がったりですから、次第に客寄せを“三本の柱”に頼るようになっていきました。それが「子役」「宙乗り」「早替わり」なわけです。

「子役」については、最近は話題にことかきません。寺島しのぶの子、中村獅童の子が出演すると聞けば、多くの人がチケットを求めて集まる。「子供相手によく金を払うな」と私などは思うけれど、なぜか今の歌舞伎の客は子供が好きなのです。

「宙乗り」は、役者がワイヤーロープで吊り下げられて、舞台や客席の上を移動する演出。「早替わり」は、複数の役柄を演じる役者が役を替える際、観客の目の前で一瞬にして衣装を替える見せ場。どちらもスピードとスリルがあって目を引くので、話の筋が理解できなくても、歌舞伎を見た気になってしまいます。

市川猿之助 ©文藝春秋

 子役、宙乗り、早替わりを全否定するつもりはありませんが、それらはあくまで歌舞伎の“枝葉(えだは)”に過ぎない。本来、歌舞伎の“幹”を成しているのは人間ドラマであり、それを演じる役者の魅力です。目先の派手さや分かりやすさばかりに囚われ、人間ドラマを疎かにする歌舞伎界の安易な風潮を目にしては、「こりゃあ、歌舞伎は早晩滅びるぜ」と思う日々が続いていました。