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芝居の“ツボ”を外さない

 そんななか私は猿之助が、この歌舞伎の惨状を変える“救世主”となると信じていました。あまり指摘されていませんが、彼の一番の才能は、なんといっても「テキストレジ(上演用に脚本を手直しすること)」の巧さです。

渡辺保氏 ©文藝春秋

 歌舞伎でも演劇でも、芝居には通常、シェークスピアや近松門左衛門など劇作家が書いた原典が存在します。原典通りに上演すると5時間も6時間もかかることが多いですから、2〜3時間の上演時間におさめるため要らない部分をカットして、台本を編集する必要があるのです。

 猿之助のテキストレジの才能は、前述の『新・陰陽師』で遺憾なく発揮されていました。

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 10年前の舞台のほうは内容が整理されていないため、なにがなんだかよく分からなかった。一種の神話劇なのだから仕方がないとはいえ、人間らしいドラマが描かれているのは、わずかに安倍晴明と源博雅の絡みの場面のみ。狐の子として生まれた晴明が、その悩みを抱えて生きる面白さがドラマになっていただけで、後は誰が何のために存在するのか、皆目分からないまま終わってしまいました。

 それが新作では、まず話が分かりやすくなっている。猿之助が人間関係を巧く整理して、各役者を引き立てる場面をつくったのは大手柄でした。例えば、坂東巳之助が演じた平将門。妻子を殺された恨みの表現、鏑矢に当たって死ぬ間際の壮絶さは、猿之助の脚本と演出によってともに際立つ面白さがありました。

 芝居には“ツボ”があります。猿之助は、この“ツボ”をよく心得ているのです。人間の体にツボがあるように、芝居にも外してはならないツボがある。そのツボを押さえてテキストレジをやり、演出してやらないと、役者は見せ場を失ってしまい、気持ちよく芝居が出来ません。

 人気演目『封印切』(原作は近松門左衛門の浄瑠璃『冥途の飛脚』)を例に説明しましょう。主人公の忠兵衛は飛脚屋であり、遊女の梅川と良い仲になっている。ところが身請けの後、金がどうしても工面出来ず、恋敵に梅川を奪われそうになってしまう。お上から預かっている300両に手を付ければ、梅川は自分のものになる。しかし、公金の封印を切ってしまえば、獄門の刑に処せられる。忠兵衛は難しい選択を迫られることになるのですが、こういう場面をつくり、人間ドラマを見せるのが芝居のツボなのです。

渡辺保氏の「猿之助は未来への希望だった」全文は、「文藝春秋」2023年7月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。