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西武「チームロン毛」はありかなしか…高校時代「私も坊主にしたい」と願った元野球部女子マネの結論

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/06/28
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 6月21日、西武ホールディングスの定時株主総会が行われた。埼玉西武ライオンズの親会社である同社の株主の質問に、ライオンズファンはざわついた。

 選手の「ロン毛」に厳しい声が上がったのだ。

 その株主は「私はよく女房と食事しながら西武の試合を見ているのですが、両エースが出てくると、非常に見苦しいというか。食事がまずくなる。というのは、髪型のこと。本人たちは獅子をイメージしていると思うのですが、周りから見てどうかなと。スポーツ選手としてどうかなと思う点があります」と、「チームロン毛」高橋光成と今井達也に苦言を呈した。

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 これには、「たしかに清潔感はない」「ちゃんと言ってくれる人がいてよかった」など同調する声、「野球に髪型は関係ない」「髪型くらい自由にさせて」と選手を擁護する声と反応はさまざまだったが、ライオンズには派手な髪型の選手が多いからか、たびたびライオンズファンの中でも、話題になることはあった。賛否ではなく、純粋に話題に。

 今回はステークホルダーから一石が投じられたわけだ。

今井達也(左)と高橋光成(右) ©時事通信社

「全員丸刈り」なら、女子マネは!?

 野球と髪型……といえば、もっともわかりやすく関係性を語られるのが高校野球だろう。高校球児といってイメージするのは「坊主頭といじりすぎた眉毛」というのは私が高校生だった頃の話だが、多くの高校には規則やルール、あるいはそこまではいかなくとも「しきたり」があった。丸刈りにしていた生徒たちがそう感じていたかはわからないが、同調圧力ともいえる「暗黙の了解」で生徒たちが“自主的に”坊主頭にしてきたわけだ。

「高校野球=丸刈り」の歴史は長い。高校野球が発展してきた昭和の物資の貧しい時代、丸刈りは衛生面でも合理的で、これが伝統になってきたわけだ。では、清潔なら丸刈りでなくていいのでは、というとそれだけの問題でもない。野球は単なるスポーツではなく、「野球道」との言葉に集約されるように武道的な側面を持つ。精神性が求められ、修業的な意味合いが含まれるのだ。衛生面をクリアできる時代になってからも丸刈りが主流だったのは、おそらく後者の理由からだろう。

 私が所属した高校の野球部も当然選手全員が丸刈りだった。私はマネージャーだったわけだが、「髪の毛なんか気にしている場合じゃない」と何度聞いただろうか。であれば、チームの一員であるマネージャーも丸刈りにしないのはおかしいと思い立ったのは高校1年生の時だ。「私も坊主にしたいです」と、部のバリカンで頭を刈ってくれるように監督に頼んだことがある。

 勝つために生活の無駄を省く。すべてを野球に注ぎ込む。そのための坊主頭。「なら私も坊主にしたいです」。嫌味でもなんでもなく、たしかにそうだ、とその時は思ったし、今でも同じ状況ならそう思うだろう。坊主頭は野球に向き合う覚悟なのだと思ったのだ。

 しかし、さすがの監督も女子マネージャーの頭を刈ることには抵抗があったのか私の申し出が受け入れられることはなかった。ならばと通っていた美容院で「坊主にしてください」と注文したのだが、そこには母の手が回っており、いくら頼んでも後ろをバリカンで刈り上げてもらうのがやっと。思い描いた坊主頭には程遠い短髪になってしまったのだった。大人たちによる坊主回避網にまんまと絡めとられたわけだが、今思えばこの時点で坊主頭に合理性はないと、指導者が言っていたようなものだ。

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