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大麻所持で逮捕…ショーケンの苦闘の時代

 バブルな80年代は、挫折の美学を体現した俳優、萩原健一にとっては苦闘の時代の始まりとなった。大麻所持で逮捕されるなど、トラブルも続く。

 集団創作で知られ、80年代小劇場ブームの一翼を担った「劇団青い鳥」の演出家で俳優の芹川藍は、萩原と同じ50年生まれ。仲間と「型を決めずに心の中にあるものを出していこう」と女性だけの劇団を旗揚げしたのは、「傷だらけの天使」放送の年だった。

 芹川が、その失速さえ深い共感を抱かずにはいられないという大好きな俳優を語る。

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「70年代ってもの凄くモヤッとした時代だった。幸せに向かって走っているから危なっかしいものが好きになるんです。ショーケンはまだ野性が残っているライオンみたいなもので、芝居で絶対はついていません。見ていると緊張を強いられるけど心が震える。でも、嘘をつかない演技ってもの凄く精神的に消耗するんですよ。青い鳥も、みんなが40歳になった頃から型を作りたくなった。ショーケンを見てたらウルウルする時がありました。何度も結婚して、何度も逮捕されて、いろんな監督や共演者と喧嘩して、ああしてないと自分を保てなかったんじゃないかとさえ思う。彼は、自分が幸せなところにいるのが嫌だったんですよね」

萩原健一 ©文藝春秋

ショーケンが語っていた「ウッドストック体験」

 後年の萩原は、尊敬していた監督や脚本家、自分とは演技法が違う共演者を批判するようになり、沢田への批判もあった。著作やインタビューで69年のウッドストック体験を語り始めたのは、2010年頃からだった。19歳の時に、安井かずみの当時の夫に連れられてウッドストック・フェスティバルへ行ったというエピソードである。

 安井と結婚していた新田ジョージは離婚後にウッドストックへ赴き、3日間カメラを回して、翌年、そのドキュメンタリー映画を大阪万博のカナダ館で公開した。だが、その時の同行者は弟とアメリカ人の友人で萩原ではない。

 新田が証言する。

「何かの間違いじゃないですか。僕は、ショーちゃん(田辺昭知)とは仲よかったけれど、ショーケンのことはほとんど知りません。サンケイホールでウッドストックの上映会をした時にスパイダースに演奏してもらったので、テンプターズも来てたかもしれないね」

 なぜ60歳の萩原にウッドストック体験が必要だったのか。なぜ関係者への批判を始めたのか。死期を悟ってかくあるべき自分を強めていったとすれば切ないが、そこはショーケン研究者の論考に委ねたい。