高度経済成長のまっただ中、日本の音楽シーンの頂点に君臨した孤高のアイドルがいた。その男の名は、沢田研二。
ここでは、ノンフィクション作家・島﨑今日子氏による評伝『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。沢田研二が語っていた、萩原健一への想いとは――。(全2回の1回目/続きを読む)
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対照的な2人の答え
渡辺プロダクションのファンクラブ誌「ヤング」にはスターへ「50の質問」というコーナーがあって、72年の2月号にジュリーが、5月号にショーケンが登場している。ここでの2人の答えが対照的なのだ。
たとえば「今、一番興味あることは?」に、沢田は〈さあ……。別にないみたい〉と答えているのに対して、萩原は〈日本の政治。中国問題〉との返答。読書についての質問では、沢田が〈本はまったくだめ。マンガ位で〉、萩原は〈読む方だな。特に小田実のものなんかいいね〉。
萩原は別の号でも高橋和巳を読んでいると話して、2人の性格の違いというか、関西人である沢田は自分を飾ることはしないが、萩原は、若者に支持される作家の名前を口にしてかくあるべき自分を強く出している。
同誌の71年11月号には、萩原が〈右耳は全然聞こえません〉と自身を紹介している「スター精密検査」というページがあった。中学時代水泳部だったため、中耳炎を悪化させていた逸話は、GS時代から語ってきた。ショーケンの右耳に右手をおいて歌うスタイルも、時に大声で話すため傍若無人に見えるふるまいも聴こえない耳のせいだったのだが、こうしてすべてを曝け出そうとするのも、ショーケンのひとつのスタイルであった。
ショーケンが「女抱きたいよなぁ」
73年2月、ブームだった上村一夫の漫画「同棲時代」がTBSでドラマ化され、沢田研二と梶芽衣子が次郎と今日子を演じ、萩原もゲストで出演した。その初夏に出た沢田の特集雑誌に、ジュリーとショーケンの対談がある。ショーケンが偽悪的に「女抱きたいよなぁ」などと迫っていく場面もあって、ジュリーは何を言われても答えようがないというふうで、最後には大笑いする。昨今のアイドルでは交わせない会話だ。
ジュリーが言う。
〈何でも一番になる方がいいわけよ。友達だしね、お互いにうまくいってるし、僕は嬉しいです、だけじゃないわけよ僕らはもう〉(深夜放送ファン別冊「JULIE沢田研二のすばらしい世界」1973年6月)
ショーケンが言う。
〈それは井上孝之(堯之)という一人の人間を通してからかも知れないけど……裏切れない友であり恋人なんだ。俺、ホモじゃないけどネ……〉(同前)