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「2人とも魅力的ですが、魅力の色合いが違う。ショーケンはきっと、歌はダメだったけれど役者は俺が一番だと思ったんですよね。そこでなら沢田研二に勝てると。だからまだPYGがある頃に、芝居のほうへ行っています」

コンプレックスを吹き飛ばしたジュリー

 一方、沢田研二にもショーケン・コンプレックスはあった。岸部一徳が〈むしろ沢田は自分にはない格好よさをショーケンは全部もっているといつも感じていたと思う〉(「萩原健一 ショーケンよ、永遠に」)と言うように、沢田自身、ショーケンのステージに感電しファンになってしまったと言う。

〈あいつには仕事上で羨ましいと思うことがいっぱいある。自分の個性をしっかりと大切に育てて、その延長でもって仕事を選んでいるでしょう〉

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〈ショーケンだからこそできるんだと思いますよ〉(前出「週刊TVガイド」)

 仕事に向かう真摯さと惜しみない努力は、2人に共通している。だが、やりたい放題、ルールも法律も破滅も無視して暴走していく萩原の生き方は、責任感が強くて真面目な沢田には到底選べないものだった。ただある時期からショーケン・コンプレックスを吹き飛ばすかのように、彼は縛られていたものから自分を解き放ち、政治的発言も辞さず、意思のままに歩き出すのだ。

「ショーケンは僕のこと、もう相手にしないと思うのね」

 2人の競演を見ることができたのは、80年代半ばまでだった。78年8月12日、ナゴヤ球場で行われた「ジュリー・ロックン・ツアー78」にショーケンが飛び入りして、大歓声の中で「自由に歩いて愛して」を一緒に歌う。その前夜は、名古屋市公会堂で開かれたショーケンのライブにジュリーが飛び入りしている。

 81年1月、老朽化による取り壊しが決まった日劇の「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」のステージには、ジュリーもショーケンも立っている。この時、内田裕也と2人が鼎談して、「互いがいたからここまでくることができた」と語り合った。

 85年、萩原健一主演の鈴木清順監督「カポネ大いに泣く」に沢田研二が出演、田中裕子が萩原の相手役であった。93年には、NHK大河ドラマ「琉球の風」に、萩原が島津義久の御典医を、沢田が琉球王を演じて共演。2人が同じ作品に出演したのはこれが最後となった。「カポネ~」公開年に出版された半自叙伝で、沢田が語る。

〈ショーケン自体は違うところへ行っているからね。いい意味でも僕のこと、もう相手にしないと思うのね〉(『我が名は、ジュリー』)