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作者・永井豪氏は「ハレンチ学園」でバッシングの嵐にさらされた

「作者の永井豪先生は出世作の『ハレンチ学園』(1968年~1972年)で、当時としては過激な性描写や、とんでもないエロ教師たちを登場させたことを問題視され、PTAや教育委員会から猛烈なバッシングを受けた。中には人格否定的なものもあったと聞いている。そこで実感した人間の恐ろしさや愚かしさを作品として最初に表現したのが、ハレンチ学園と『大日本教育センター』との全面戦争で、登場人物のほとんどが死んでしまうという『ハレンチ大戦争』やった。

「ハレンチ学園」(集英社漫画文庫)よりハレンチ大戦争の1シーン。作中ではハレンチ大戦争の最中に、主人公の山岸がそうとは気づかないまま両親を射殺してしまう場面も描かれた

 その後も永井先生は、『デビルマン』の原型と言える『魔王ダンテ』でこのテーマを追求しようとしたが、掲載誌の休刊もあって未完で終わってしまった。それが、『変身ヒーローもの』という枠組みを得たことで、ようやく作品として完璧な形で結実したのが、漫画版『デビルマン』というわけや」

「魔王ダンテ」(中央公論社〈当時〉)より。巨大な魔神の顔の中央に人間の顔が浮かびだしているというビジュアルイメージは、永井豪氏の代表作の一つ「マジンガーZ」の頭部操縦席「ホバーパイルダー」の原型とも言われる

「なるほど。作者の生々しい情念が込められているわけですね。だけど、そんなネガティブなものを子どもに見せるって、それこそ教育上よくないんじゃありません?」

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「そうかもしれんけど、やっぱり『現実』を知ることは大事やで。『人間の本性は善です』とか『努力すれば報われる』とか、学校の道徳で教えられるようなことをまともに信じていたら、ろくな大人にならんよ。その意味では、オレを含めた同世代の多くの人びとにとって、『デビルマン』は『裏・道徳の教科書』みたいなもんやったんやないかな。

 オレは『デビルマン』を読んでから、子ども心に一生懸命考え続けたんや。自分は、不動明が恋人の美樹ちゃんを惨殺されたような『自分の最も大切な存在を踏みにじられ、奪われる恐ろしい体験』は決してしたくない。そのためには一体どうすればいいのか、とな。それに対する現時点での答えが、『人間の皮がはがれて獣の本性が顕わになるような世の中には、決してしてはいけない』ということや。一部の人が極端に貧乏になったり不幸になったりすることがなく、誰でもまじめにやれば、『世の中の役に立っている』という実感を得られて、ささやかな幸せをつかむことができる。そんな安定した世の中を作ることが絶対に大事、と思うんや。

 そんな世の中やったら、『人間の皮』は安定し、オレ自身も安心して暮らすことができる。逆に、世の中に不安や不満を抱えた人間や、自分のことばっかり考える人間が多くなりすぎたら、『人間の皮』はあっという間にやぶけて、けだものだらけの世の中になってしまう。最近はその兆しが至るところに現れているからこそ、『教養作品としてのデビルマン』の復活を待望するわけ」

「ふーん。頭の中で考えていることだけは、立派なんですねえ」