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「crybaby」から「生きる糧」は見出せなかった

「その通り。『デビルマン』は、俺の世界観の根底にあると言ってええほどの決定的な影響を受けた作品や。勢い、そのリメーク作品に求めるグレードも高くなりすぎて、厳しすぎる見方をしてしまったかもしれん。正直、オレ自身は『crybaby』から原作ほどの衝撃は受けなかったし、積極的な『生きる糧』も見出せなかったけど、『crybaby』を楽しんだり感動したりしている人が大勢いることは、今回の批判を受けてよく分かったし、エンタメとしての『crybaby』を否定するつもりはまったくない。それは、オリジナルビデオアニメ版の『デビルマン』についても同様や」

「デビルマン」連載の表紙扉絵(「週刊少年マガジン」1972年7月30日号)

「ふーん。珍しくしおらしい態度ですね」

「ただ、原作である漫画版『デビルマン』の『教養作品としての凄さ』は、『crybaby』のファンにも是非知って欲しいと思うんや。前回も紹介したけど、『新世紀エヴァンゲリオン』プロデューサーの大月俊倫氏は、『デビルマン』の連載をリアルタイムで読んでいて『毎週、毎週、だんだん気がヘンになりそうでした』と振り返るぐらいの衝撃を受けているし、庵野秀明監督も、『結局〈エヴァ〉もデビルマンの呪縛から離れられなかった』と話している。

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 オレ自身、子どもの頃に『デビルマン』を読んでいなかったら、今の自分とは違う人間になっていたと思うし、オレが『デビルマン』から学んだ『教訓』『教養』は今の時代ではさらに重みを増している。だからこそ、『シン・ゴジラ』や、BBCテレビの『シャーロック』みたいに、『オリジナルの作品が当時の人びとに与えたであろう衝撃を、現代に甦らせる』タイプのリメークを待望しているんや」

庵野秀明監督は、「エヴァ」の旧劇場版でアスカの操縦する弐号機とエヴァ量産型との対決シーンを演出した際、「デビルマン」で暴徒たちが牧村家を襲う場面がどうしても意識から離れなかったという ©文藝春秋

「小石さんが『デビルマン』から学んだことって、一体何ですか。読まなかった方が、まともな人間になっていたような気もするけど」

「それは『人間は一皮むけば、みんな獣(けだもの)』という一言に尽きるわ。ヒューマニズムなんてのは、人間という獣の表面を薄ーく覆っている皮みたいな、もろいものに過ぎん。いったん人びとの中に潜む獣性が解放されてしまったら、一人ひとりの小さな幸せや愛情なんて、あっという間に踏みつぶされてしまう。そして、『獣性の解放』の最も起こりやすいシチュエーションが、『戦争』や。そういうベーシックな人間観・世界観を、8歳のオレに理屈抜きで生々しい物語体験として叩き込んでくれたのが、『デビルマン』やったんや」