Netflixで配信中の「DEVILMAN crybaby」。その原作漫画が週刊少年マガジンに連載されていた1972年~1973年に、当時8歳の小石輝はリアルタイムで出会って衝撃を受けました。小石は「デビルマン」を「裏・道徳の教科書」として熟読し、現代では「進撃の巨人」も同じ系譜に連なると分析します。原作漫画にあって「crybaby」にないものとは? 賛否両論の「デビルマン」論、後編です(#1が公開中です)!

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サブカルは、単なる娯楽を超えた深い教訓になり得る

恋ちゃん(大手マスコミの元気な若手社員)「ちょっと小石さん。前回のコラムが、大変なことになっているじゃないですか!」

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小石輝(恋ちゃんの先輩。重度のこじらせオタク)「うーん。こういうのを『炎上』って言うんかなあ」

「ツイッターの大半は、『稚拙な文章』『知性のかけらも感じられない』『レベル低い』『ダメなオタクが書いたような記事』などなど、批判の嵐。特に『DEVILMAN crybaby』のファンの方々からは、『crybabyは失敗作じゃない!』という声が殺到していますよ」

「『読み応え充分! 素晴らしい論考』とか『熱量のこもった記事』とか、好意的なツイートもあったけど」

「現実逃避して自分に都合のいい意見ばっかり見ていると、足元をすくわれますよ!」

原作漫画「デビルマン」作者の永井豪氏 ©時事通信社

「そうやね。さすがにオレもあれだけ叩かれると、結構しょんぼりしたわ。反省点は、『成功』『失敗』の基準を明示していなかったこと。元々このコラムは『サバイバルのための教養』というサブタイトルが示すように、映画や漫画などのエンターテインメントを単なる娯楽としてではなく、『教養=生きる指針』として自らの血肉に変え、現代をサバイブする力を身につけようというコンセプトなわけ。

 オレ自身、子どもの頃から、文学作品からよりもはるかに多くのことを、アニメや漫画、SFから学び、それを積極的に生きる指針にしてきた。それは何ら恥ずべきことではないし、多くのサブカル作品がグレードの高いものだったからこそ、それだけの『学び』が得られたと思うんや。サブカルを娯楽として消費するのもええけど、一部の作品からは単なる娯楽を超えた深い教訓を学び取れる、ということを示すのがオレの目標や」

「(やっぱり面倒くさい人だねえ)。じゃあ、漫画版の『デビルマン』も、小石さんにとっては『教養作品』のひとつということですか」