ポスト誌の取材班がウインズで張り込んでいた7月2日、複数のスポーツ紙にも「2億円を当てた本人」と名乗る男から電話がかかっている。その人物は「恵まれないこどもたちのために全額寄付したい」という手紙を添え、的中馬券をウインズ新橋に書留で送付した、と話していたという。書留は3日の朝には届くということだった。
結局、「ミラクルおじさん」がどんな人物かはわからず
これにはJRAも困惑していた。そもそも、郵送による払い戻しは受けつけてないし、JRAの職員が間にはいって換金する行為も禁止されている。送られてきた馬券は送り主に返送するか、送り主がわからない場合は「拾得物」扱いとなり、警察に届けることになる。JRAはそう説明している。
これについても続報はない。ポスト誌にしてもスポーツ紙にしても、騒ぎに乗じたいたずら電話に振りまわされたわけだが、馬券を当てた本人はどう思って見ていたのか。
結局、「ミラクルおじさん」がどんな人物かはわからなかった。騒ぎも一段落したころ、馬券はどこかの競馬場かウインズでしずかに払い戻され、JRAも発表しなかったのだろう。
ヒシミラクルが“ミラクル”と名付けられた理由とは
あの宝塚記念から1年後の夏、わたしはオーナーの阿部雅一郎氏に会っている。ヒシミラクルについての取材で、「名前があまりにもぴったりなので驚いてます」と言うと、「そうでしょう」と笑った阿部氏は、ミラクルとつけた経緯を教えてくれた。
血統も地味で見栄えのしない芦毛のヒシミラクルは2歳の春になっても買い手がつかず、5月の北海道トレーニングセール(調教された馬の走りを見てから売買される)に上場された。トレーニングセールに参加するのがはじめてだった阿部氏は、午前中におこなわれた調教供覧に遅刻し、馬の走りは場内で流されていたビデオで見ることになった。これが幸運につながった。ビデオを見て「たまたま目にとまった」馬はタイムがよくなかったことで競る相手もなく、ひと声で落札できた。最低落札価格の650万円だった。
「それでも、ちょっと高いかなと思った」と言う阿部氏は、「これで1、2勝できたら御の字、それ以上走ったらミラクルだぞ」ということで、ヒシミラクルと名づけたのだという。
650万円の馬は6勝し、GⅠで三度もファンを驚かせ、5億円を超える賞金を稼いだ。そのうえ、「ミラクルおじさん」という伝説の馬券師まで誕生させることになったのだ。