現役時代はG1を6賞、種牡馬としてもG1ホースを輩出するなど大活躍…今も昔も愛される名馬ゴールドシップが、14年の馬生(ばせい)のなかで、ファンの期待を最も裏切った瞬間とは?
競馬ライター・小川隆行氏の新刊『ゴールドシップ伝説 愛さずにいられない反逆児』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「今年のゴールドシップは、違う」
自分が馬券を外したというエピソードを、面白おかしく語ることはよくあるが、それを楽しそうに言えるレースと出会えることは、そうそう無い。そんなレースがあるとすれば、相当に面白い個人的なエピソードが絡んでいるか、愛情をもって語れる馬が絡んでいるか、だ。多くの人にとって、そんな「ちょっと笑える」大ハズレとなったのが“あの”宝塚記念だろう。
古馬となったゴールドシップは、春に恒例のローテを歩むのがお決まりだった。阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念。その戦績は独特で、4歳時が1着→5着→1着、翌年が1着→7着→1着。
ゴールドシップにそっくりな見た目の母父メジロマックイーンが二度も制した天皇賞(春)での敗北を、阪神大賞典と宝塚記念の勝利がサンドしていたのである。2レースを連覇する実力があり、菊花賞で見せたスタミナもある。何がゴールドシップの天皇賞(春)制覇を妨げているのか、メディアもファンも要因を探し続けていた。
注目されたのが、ゴールドシップの性格だ。父親譲りの気性面の難しさは、オルフェーヴルなどでもファンの知るところ。実際にゴールドシップも、走る気分ではないが故に負けることのあるタイプに見えた。だからこそ、ファンはゴールドシップの“本気”を引き出せるような、救世主や必勝法が降臨するのを心待ちにしていたと言える。
その期待に応えたのが、5歳シーズンに三度コンビを組んでいた、横山典弘騎手だった。6歳になったゴールドシップは、岩田康誠騎手を背に阪神大賞典を制すると、続く天皇賞(春)で横山典騎手とのコンビ復活により念願の勝利を摑み取る。
それも、前半は折り合いをつけて後半で長く良い脚を使う「ゴールドシップらしさ」の溢れるレースぶり。勝ち→負け→勝ちでサンドしていたこの2年間とは異なる展開に、ファンの期待は高まる一方だった。
――今年のゴールドシップは、違う。