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急接近のきっかけは

 そんなある日、うめだ花月の稽古場でのこと。私は吉本の偉い人から呼ばれてこう言われました。

「西川、お前の家でヘレンをちょっと休ませてやってくれんか」

 聞けば、ヘレン姉さんは扁桃腺を腫らしているものの病院に行くほどではない、とのこと。稽古場から一番近くに住んでいる私の家で、一晩面倒を見てやってほしいというのです。

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 当時、私の父親はモータープール(駐車場)の管理人をしており、その管理事務所に一家で住んでいました。6畳間と10畳間の2部屋で、6畳間に両親、10畳間に子どもたちが暮らしています。吉本に移ってからは私も住み込みではなく“通いの身”だったのです。

©文藝春秋

 私はうれしかった。売れっ子女優に自分の実家で療養してもらえるのもさることながら、会社の上層部が下っ端の私を「西川」と名前で呼び、しかも私の実家がそこから近いところにあることまで知っていてくれたことに感動しました。

 断る理由などありません。私は40度の熱に苦しむヘレン姉さんをタクシーに乗せると、ワンメーターの距離のところにある実家に連れて行きました。

実家は上を下への大騒ぎ

 普段テレビで観ている女優さんが突然やって来た我が家は、上を下への大騒ぎです。

 私はとりあえず10畳の部屋に彼女を寝かせ、父親は氷枕と氷を買ってきてカチワリを作り、母親は「おかゆさん」をこしらえて梅干しを添えて彼女に食べさせる。

 そうこうするうちに姉や兄らが帰ってきて、総勢7人の西川家は、6畳間にまさにすし詰め状態で一夜を明かしたのです。

 翌朝、ヘレン姉さんは熱も下がって、家族一同ひと安心。そこに彼女のお母さんが生八つ橋を手土産に、京都から迎えにやって来ました。

 ヘレン姉さんは母一人娘一人の母子家庭ですから、我が家のように狭い家に7人もの家族が暮らす姿に驚いたようです。それでもそこに「家族の温かみ」のようなものを感じたようでもありました。