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なぜこれまでの検閲は「滑稽」だったのか?
今回の中国のネット検閲も、いずれ『笑料集』としてまとめられる日がくるのだろうか。
そうかもしれない。だが、現在はコンピュータの発達によって、大量のテキストデータを瞬時に読み込み、規制コードと自動的に照らし合わせて制限することが可能になっている。AIに投稿のパターンなどを深層学習させれば、いずれ文脈も読み取れるようになるだろう。
そうすると、これまでになく的確で厳密な検閲が出現しかねない。過去の個人崇拝と表現規制の組み合わせはどれも似たり寄ったりで、どうしても笑いを誘った。ただ、それはテクノロジーの問題でもあったのではないか。
これまでの表現規制は、人間が手作業や目視で行わなければならなかった。そのため、「不適切な表現」が審査をすり抜けてしまう恐れがあった。そこで、一罰百戒の効果を狙って(つまり自主規制・自主検閲への誘導)、あまりにわかりやすい取り締まりが行われた。それがある種の滑稽さをもたらしたのである。
しかし、表現規制の仕組みが劇的に進歩すれば、同じパターンが繰り返されるとは限らない。新しい検閲の全体像はいまだ明らかではないが、過去の事例を知っておけば、その兆しも俯瞰できるはずである。個人崇拝と表現規制の結びつきから、今後も目が離せない。