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紆余曲折を経て京都に開館した“光る石資料館”
悔しい思いを抱えながら、さらに調査を続けていると、光る石を見る糸口が見つかった。
坑道を閉塞した翌年の平成20年(2008年)、光る石鉱石資料館も閉館し、運営していた長原正治さんは地元の京都に戻っていたのだが、奥様の知子さんの提案で、各地の光る石を集めた資料館を新たに開設することとなったそうだ。そして、平成21年(2009年)、知子さんが館長となり、京都府亀岡市に“光る石資料館”が開設された。
「これで鉱石の天の川が見られる!」
喜んだのもつかの間、休眠状態の公式ホームページには、休館中と書かれていた。元鉱山町の長原さんは、京都で光る石資料館が開設された2年後の平成23年(2011年)に84歳で亡くなっていた。休館中と書かれたホームページは、14年前から更新が止まったままだ。資料館のこともショックだったが、喜和田鉱山のことを色々とお聞きしたいと思っていた元鉱山長が亡くなっていたこともショックだった。
「もう鉱石の天の川は見られないのか……」
どうしても諦めきれなかった私は、一縷の望みをかけて、休眠状態のホームページからメールを送信してみた。返事がくるとは思えなかったが、山口県を訪れて喜和田鉱山に興味を持ったこと、調べているうちに京都の光る石資料館にたどり着いたこと、20年遅かったと後悔していることなどを記した。
数日後、思いがけず返信が届き、びっくりした。メールを送ってくれたのは、鉱山長の息子さんである長原達郎さんだった。