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採掘を休止した喜和田鉱山

「光る石まで〇〇M」という看板や、「右正面の“光る石”を見て下さい」という手書きの掲示が目に留まった。“光る石”というワードがよく出てくるのだが、鉱石類は何も残っていないので、その正体が分からない。ピカピカと光る石でも展示されていたのだろうか。

もぬけの殻状態の鉱石資料館
時が止まったカレンダー

 とても興味深い場所だったが、現地ではそれ以上の収穫はなく、帰路についた。家に着いてからも光る石のことが気になっていた私は、喜和田鉱山と資料館のことを調べてみた。

手書きの案内が味わい深い

 喜和田鉱山の歴史は今からおよそ350年前の寛文9年に遡るが、当初は銅山として利用されていた。それが明治末期になってタングステンを含有することが明らかになり、日本初のタングステン鉱山として繁栄してゆく。タングステンの鉱石は“灰重石”といい、紫外線を当てると青白く発光する。そう、光る石の正体は、灰重石だったのだ。ひとまず気になっていた最大の謎は解決した。

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喜和田鉱山で見られた“光る石”の歴史

 喜和田鉱山では、世界に類を見ないほど高品位な“第十一鉱床”が発見されたという。紫外線を当てると坑道全面の鉱石が青白く光るため、地中の天の川と呼ばれたそうだ。

在りし日の喜和田鉱山(平成4年[1992年]採掘休止)で撮影された写真

 小規模ながらも国内最大のタングステン鉱山として栄華を極めた喜和田鉱山だったが、他の金属鉱山と同じ道を辿ることになる。つまり、海外から安価な鉱物が入ってきた結果、競争力を失い、採掘を休止したというわけだ。

 その後、第十一鉱床の発見者であり鉱山長を務めた長原正治さんは閉山後も現地に残り、私が藪の中で発見した“光る石鉱石資料館”を開設した。閉山後しばらくは長原さんが希望者をガイドし、坑内の見学会も行われていたという。30年ほど前には地中の天の川を生で見られたというのだから、とても羨ましく思った。

喜和田鉱山で鉱山長を務めた長原正治さん。平成19年(2007年)には坑内に残っていた鉱石を全て運び出し、喜和田鉱山の坑道を閉塞した

 また、資料館の中には、灰重石を壁一面に貼り付けて地中の天の川を再現した展示があったという。本当は坑内の天の川を見てみたいが、坑道は既に閉塞されているので、見ることはできない。

 であれば、鉱山長が再現した天の川だけでも、この目で見てみたいと思った。しかし、現実として、山口県で見た資料館はもぬけの殻の状態。叶わぬ夢に思われた。