はじまりは、昨年夏に山口県を訪れた時のことだった。岩国市の山間部を走っていると、道路沿いに小さな石碑が見えたのだ。しかし、走行する車からでは文字が読み取れなかった。何の石碑か気になりながらも、目的地が近かったこともあり一時は通過した。
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その後、軽自動車でギリギリの道幅という険しい道のりを越えて、見たかった手掘のトンネルを見学。満足して帰路についた頃、そういえばここに来る道中に石碑があったなと思い、石碑の前で車を停めた。
石碑には、左方向を差す矢印とともに“喜和田鉱山跡”と大きく彫られている。その下には、寛文9年(1669年)からはじまり、後に世界最高品位のタングステン鉱脈が見つかって繫栄したものの、平成4年(1992年)に閉山したという喜和田鉱山の歴史が書かれていた。わざわざ矢印が書かれているので、「これは鉱山跡が見学できるのではないか」と、矢印に従って来た道を引き返すことにした。
15年前からめくられていない“鉱石資料館”内のカレンダー
“ひと山当てる”鉱山開発にはロマンがあるし、栄華を極めた産業が衰退してゆくと、町全体が衰退してしまう。鉱山のリアルな痕跡が消えてしまう前に、鉱山跡や、その周辺の街の様子を見ておきたいと日頃から思っているのだ。当初、山口県を訪れる目的は手掘のトンネルだったが、思いがけず鉱山跡が見られる機会を得られ、ワクワクしていた。
しかし、これまで走ってきた道のりを思い出しても、鉱山跡が存在していたような景色はなかった。
案の定、いくら車を走らせても、鉱山跡は見つからず、周辺を行ったり来たりする羽目になる。すると、川の対岸に建物らしきものがかすかに見えた。緑が生い茂っているためほとんど見えないが、もしも鉱山があったとしたら、ここしかない。川を渡る橋もあったので、車を停めて藪の中へと入ってみた。
背丈を超える草と、数多の蜘蛛の巣をかき分けて進んで行くと、建物が確かにあった。建物を覗き込むと、ヘルメットに装着するキャップライトが転がっているのが見える。ここが鉱山跡で間違いないようだ。しかし、想像していた観光地の姿とは、ほど遠い状態だ。
戸惑いながらもさらに奥に進むと、プレハブの建物が見えてきた。入り口には“鉱石資料館”の看板があった。建物の前には、鉱石を運んでいたであろうトロッコと、鉱石をすくい取るための車両が置かれている。かつては資料館の前に展示されていたのだろう。
誰が見ても営業していないことは明らかな鉱石資料館を覗いてみると、鉱石類は一切なく、展示していたであろう棚などが残されているだけだった。まさに、もぬけの殻の状態だ。カレンダーは平成20年(2008年)で止まっていた。