1000枚近く保管されていた資料
「こんな貴重な資料を一介の見学者である私が持っていっていいわけがない」という逡巡も抱きつつ、「資料が散逸してはいけないと」いう思いが上回り、スキャンしてデジタル化すべく、ひとまずお預かりすることにした。
これは喜和田鉱山に限った話ではなく、日本の金属鉱山はほとんど閉山しているが、今後の社会情勢や金属市場の動向などによっては、再び採掘を行う可能性がある。そうした時に、当時の資料はとても重要になる可能性があるのだ。
ちなみに、お預かりした資料は1000枚近くあり、綴じたホチキスは錆びついて外すのも大変だったが、空いた時間に少しずつ作業を進め、数か月かけて全てスキャンした。中には当時の鉱石資料館のパンフレットや、鉱山長が手書きで作ったと思われる社員旅行のしおりなども含まれていて、スキャンしながらほっこりとした気持ちになる。資料を全てスキャンする頃には、鉱山長のことが少し身近に感じられた。
通りすがりに石碑を見かけたことで興味を持った喜和田鉱山。その長い歴史を辿っていると、黄金期と呼ばれた長原正治鉱山長時代、そして鉱山の終焉から資料館の開設・移転に至るまで、実に多くの人間模様が垣間見えた。それはどれも温かいもので、特に印象に残ったのは、鉱山男と呼ばれた長原正治さんの家族愛だった。
正治さんは最期に「しあわせ」という言葉を奥様に残し、この世を去ったというが、奥様は正治さんの遺品であるタングステン粉末を使い、骨壺を特注したそう。現在は夫婦お二人で、紫外線で美しく光る骨壺に仲よく収まっている。
光る石資料館は閉館となるが、第十一鉱床を再現した天の川の展示は、山口県岩国市の科学センターに引き取られる予定だ。喜和田鉱山があった地元に里帰りする形で、少し安心した。展示開始は2025年の予定だが、その時にはまた見に行きたいと思う。地中の天の川を求める旅は、まだしばらく続きそうだ。
写真=鹿取茂雄
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