「現在、資料館は閉じておりますが……」
光る石資料館は、正治さんが亡くなった後も知子さんの運営で営業を続けていたこと。しかし、知子さんも体調を崩し、休館を余儀なくされたこと。令和3年に知子さんも亡くなり、その後は息子さんと娘さんが不定期で開館していたものの、現在は閉館状態だということ……。現在は京都に住んでいないという達郎さんからのメールにはそのような内容が簡潔に記されていた。
そして、「現在、資料館は閉じておりますが、私が実家に戻ったタイミングであればご覧いただくことは可能です」とも。
まさか、まさかである。お返事が頂けて、しかも資料館を見せてもらえるというのだ。これは、飛び上がるほど嬉しかった。早速、次に達郎さんが帰省するタイミングで見せてもらうことにした。
山口県を訪れてたまたま石碑を見かけてから1か月、ついにこの日がやってきた。もう見られないと思っていた光る石を、まさかこんなにも早く目にすることができるとは思ってもみなかった。
事前にお聞きしていた住所を訪ねると“光る石資料館”の看板が立っていた。この看板を見ただけで感動ものだ。早速、達郎さんにご挨拶し、資料館を開けていただいた。
建物は新しいが、テーブルや棚には鉱石がびっしりと並んでおり、喜和田鉱山の鉱石資料館の面影を残しているように見えた。暗幕に包まれた一画があり、おそるおそる長原さんに尋ねる。
「あれは、ひょっとして、天の川でしょうか……」
「はい、ライトつけますね」
長原さんが紫外線ライトのスイッチを入れると、壁の全面が青白く光った! もっと作り物っぽい展示を想像していたが、とてもリアルだった。坑内に立っているかのような感覚に陥る。リアルな鉱石の配置に在りし日の鉱山長のこだわりを感じ、感無量だった。
そのほかの展示も見せてもらいながら、達郎さんにお話を聞いた。資料館の今後について尋ねると、残念ながら予定通り閉館するのだという。これまでにも問い合わせのメールが時々きていたが、「もう建物ごと処分しようか」と思っていた矢先に私からメールが届き、「最後にもう一度開けてみよう」と、返信をくれたとのことだった。奇跡的な偶然が重なり、今日こうして念願の天の川を見ることができたのだ。
展示物の他に、喜和田鉱山に関する資料や、鉱山が操業していた当時の写真も見せて頂いた。第十一鉱床の記録や、トロッコ軌道の許認可に関する書類など、貴重な資料が大量に保管されていた。手書きの資料から、鉱山長の几帳面な性格が伝わってくる。
じっくりと見入っていると、長原さんが「よかったら持っていって下さい」と声をかけられた。ここを閉館にしたら燃やそうと思っていたのだという。