2004年公開のこの映画で主演を務めた杉本は、全裸で激しいSMシーンに挑み、話題を呼ぶ。その撮影中、原作者の団鬼六が撮影現場に来たことがあった。しかし、杉本が裸にされて十字架に縛られ、さまざまな責め苦を受けるという凄惨なシーンに、団は耐えかねて早々に帰ろうとした。すると彼女に十字架の上から《女優が体張って演技してるんだから、ちゃんと最後まで見て行きなさいよ!》と怒られたという(『AERA』2006年6月5日号)。
この企画が持ち上がったときから、彼女はぜひ石井隆に撮ってほしいと監督を自分で決め、周囲にも自分にも妥協を許さなかった。このときについて《女優というより、“アスリート”みたいでしたね。肉体的にも精神的にもキツくて、それまでの人生で、あれほど自分を追い詰めたことはなかったです。キツいとは覚悟していましたが、想像をはるかに超えていました》と後年振り返っている(『週刊大衆』2022年10月17・24日号)。
社交ダンスにも熱中、生傷が絶えず…
これと前後して、1996年より出演したテレビのバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の「芸能人社交ダンス部」では、南原清隆とペアを組んでラテンダンスに挑戦した。それまでバラエティを敬遠していた彼女だが、昔からダンスが好きで、とくにラテンダンスには関心があっただけに、この企画には好奇心と向上心をかき立てられ、引き受けた。
ここでも杉本は真剣そのものであった。練習中は生傷が絶えず、目標としていた競技会直前には肋骨を折ってしまう。ディレクターからは、無理してケガを悪化させたら大変だと、ここでやめてもいいと言われたが、彼女には途中でやめるのは納得できなかった。競技会当日には、数時間ごとに肋骨に局部麻酔の注射をして痛みを抑えながら、最後まで踊り切った。
結局、この日打った注射は計9本におよび、それから3日間は麻酔の後遺症に悩まされたという。彼女もさすがに《いま思えば、なんてことをしたのだろうと、ぞっとする》と著書で省みている(杉本彩『リベラルライフ』梧桐書院、2010年)。それでもこの番組をきっかけとして、ダンスにのめり込み、のちにはアルゼンチンタンゴと出会い、本場・ブエノスアイレスでの世界選手権で2位を獲得するまでになる。
35歳で離婚を決意
このころ、私生活でも苦労が絶えなかった。うつ病になった母親を東京の自宅に引き取ったものの軋轢が激しくなる。夫との関係もしだいにうまくいかなくなった。それでも離婚したくなかった彼女は、どうにか関係を修復できないかとも真剣に考えたが、自分の気持ちには嘘はつけない。それだけに、夫のほうから「いいかげん、別居したほうがいいだろう」と切り出されたときは、肩の荷が下りた気がしたという。こうして2003年、35歳で離婚、母親もこのとき妹が引き取っている。