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グラドルは完璧ボディーしかダメ、という時代

ーーアバンギャルドの秘密主義、すごいですね。スパイ組織なんでしょうか。

浜田 あと事務所には「痩せろ」とずっと言われていました。痩せているのに、社長には「全然ダメだ。太ってる」と言われて、当時は拒食症になるんじゃないかっていうぐらいガリガリでしたね。米とパンは食べない、コンビニでもサラダしか見ないように生きていました。

 事務所の小倉優子さんももともと細いのにずっとダイエットしていましたし、あの時代のグラドルは森下千里さん、ほしのあきさんだったり完璧なボディーしかダメという感じでプレッシャーがすごかったです。

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 テレビに出たときには、細すぎて司会のホンジャマカの恵俊彰さんにCM中に「もっと太った方がいいよ」と心配されました。でも島田紳助さんは「脚が細いのが素晴らしい!」って褒めてくださって、MCされている番組にも呼んでいただいたので、そこはよかったです。

©️細田忠/文藝春秋

ーーグラビアで忙しくなったのってデビューして何年目ぐらいですか?

浜田 17歳でデビューして、3年目だから20歳くらいのときですね。17歳からレースクイーンをしていて人気が出ていたのも大きかったと思います。海外の撮影も当時は多かったんですが、ハワイには「レギュラーがあるから絶対ダメだ」と、事務所の方針で絶対に行かせてもらえませんでした。なのでグアム、サイパンまででした。

好きじゃないことをいっぱいした

ーー悲しい……。2005年には「日テレジェニック」にも選ばれました。

浜田 ちょうど20歳ぐらいで、当時は「日テレジェニック」だったり「フジテレビビジュアルクイーン」になることが、グラビアからすると一番上という感じで「地上波に出れる!」ととても嬉しかったことを覚えてます。

 その年の「24時間テレビ」にも参加させてもらって、最後は司会のSMAPさんと日本武道館で「サライ」を歌って最高でした。それが日テレジェニックになっての一番のご褒美でしたね。

©️細田忠/文藝春秋

ーー浜田さんは大変な事務所に入っていたわけですが、事務所から言われた仕事は断らなかったそうですね。

浜田 麻雀とか競馬、ボートレースとかギャンブルは全然得意ではないのに、事務所に勝手に好きなことにされて、実際にそれで仕事が決まって大変でした。

 ボートレースのMCの仕事もさせてもらったんですが、知識がないのでスタッフさんに「おまえ、全然わかんねえじゃねえかよ!」と怒鳴られて、トイレに引きこもって泣いたこともあります。

 麻雀を覚えようとマネージャーさんに一緒に打ってくださいといってもやってくれないし……。今、振り返ると好きじゃないことをいっぱいする期間が多かったかなと思います。