「日テレジェニック2005」に選ばれるなど2000年代前半から長らくグラビアアイドルとして活動し、現在はYouTuberとして活躍する浜田翔子さん(37)。そのグラドル時代を振り返ってもらうと、あどけない笑顔とともに語られたのは、安すぎる給料、主演ドラマを現場で知らされる、クイズの賞金を事務所に奪われるなど、“グラドル残酷物語”ともいえる衝撃の事実の数々だった。(全3回の1回目/2回目に続く)
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オシャレになったら、いじめがなくなった
ーーデビュー前の話から聞きたいんですが、子供の頃はかなり地味だったそうですね。
浜田翔子さん(以下、浜田) 京都の田舎に住んでいたんですが、小学校の頃はメガネをかけていましたし、中学生まではいじめられていました。番長みたいな子に目をつけられて、上履きにカイロの粉を入れられたり、水を入れたコンドームを投げつけられたりしていました。
でも中学生のとき、モーニング娘。さんに憧れて、コンタクトにしたりオシャレに目覚めたんです。牛乳配達のアルバイトをして、そのお金で服とかを買ってました。そうしたら突然いじめがなくなって、だんだん学校のカースト上位の人にも声をかけられるようになったんです。
ーーかわいくなったことで人生が変わったわけですね。
浜田 今までチヤホヤされなかった分、それが嬉しくって。高校のときには撮影会モデルのバイトをしていたんですが、そこでもチヤホヤしてもらえて。オーディションなんかも受けるようになりました。
そんな頃、家族で東京ディズニーランドに遊びに行った時に、アバンギャルド(現アヴィラ)の人間にスカウトされて、「すぐに東京行きます」と上京しました。地元にいる人間を見返してやりたいって気持ちがありました。
現場で「ドラマの主役です」といきなり言われて...
ーー事務所に所属してすぐにグラビアを始めるんですか。
浜田 入ってすぐに「ヤングアニマル」の懸賞ページでの水着撮影がありました。
当時はMEGUMIさんだったり、グラビアアイドル=おっぱいの時代で。私は胸がないのがコンプレックスだったので「私がグラビアできるの?」と思っていたんですけど、撮影現場では「胸、意外とあるよ」「寄せたら大丈夫」みたいな感じで褒めてもらえて。もともと写真を撮られるのは好きだったので、すごく楽しかったです。
ーー浜田さんが活躍された2000年代前半は雑誌グラビアも勢いがありました。
浜田 忙しかった時には、毎日撮影の仕事がありました。でも事務所が予定とかを全然教えてくれなくて(笑)。
現場に行っていきなり「表紙の撮影だよ」と伝えられたり。事前に準備して体づくりもしておきたいのに、何にも教えてくれなくて。衣装合わせまで、主演ドラマについて教えてもらえないこともありました。
ーーえっ、主演ドラマも事前連絡なし!?
浜田 テレビ東京で放送された「しにがみのバラッド。」というドラマです。ライトノベルが原作で、私の役は白いカツラをかぶったり、コスプレみたいな衣装だったんです。
だから衣装合わせの最中も「きょうはコスプレをしてのグラビアなのかな?」と思っていたら、「ドラマの主役です」といきなり言われて……。演技もちゃんとできないし、どうしようってなりました。ドラマでは吉川愛ちゃん(当時は吉田里琴)とも一緒にやってたんですよ。今はめちゃ売れてますね。