サポート役として“余人をもって代えがたい才能”を発揮
北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国と呼ぶことにこだわっていた歴史学者がいた。東京大、一橋大の名誉教授、油井大三郎(麻布)である。東京大文Ⅰに入学したZ会神童で、その後、アカデミズムの道に進む。現在は、「高大連携歴史教育研究会」の会長職にある。同会は、最近、高校の歴史教科書に盛り込むべき基礎用語が多すぎるとして、日本史では約3600語から約1600語にして、「坂本龍馬」「吉田松陰」は削除すべきと主張した。これが各界から総スカンをくっている。
学生運動、左翼運動とはおよそ無縁だったZ会神童に堀紘一(東京教育大学附属駒場)がいる。ドリームインキュベータ 代表取締役会長。東京大法学部卒、読売新聞経済部記者、ハーバード大学でMBA取得、ボストンコンサルティンググループ入社という、いまどきの東京大生には憧れの経歴である。のちに同社の日本法人社長に就任した。
堀はビジネス指南書を多く出しているが、ときに読者を惑わす。1998年に『一番いいのはサラリーマン―苦境を乗り越える新現場発想』(扶桑社)を出しておきながら、 2004年に『サラリーマンなんか今すぐやめなさい』(ビジネス社)を著してしまう。このぐらいの神経の図太さがなければ、コンサルタントはつとまらないのだろう。
東京大文Ⅱ、教養学部を経て朝日新聞記者になったZ会神童がいる。ジャーナリストの船橋洋一(灘)だ。アジア・パシフィック・イニシアティブ(旧、日本再建イニシアティブ)の理事長もつとめる。著書はサントリー学芸賞、ボーン・上田記念国際記者賞、日本記者クラブ賞 、新潮学芸賞、吉野作造賞、石橋湛山賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している。船橋の視点はアメリカ寄りと言われるが、これほどの賞を取った新聞記者はほかにいない。
10代後半、東京大をめざしてZ会の難問を解いていた平沢、谷垣、仙谷、小西、長谷川、油井、堀、船橋など、東京大1964年合格のZ会神童たち。
総理になれなかった。革命も失敗した。一方でコンサルタント、ジャーナリストとして功成り名遂げている。サポートする、フォローする側にまわると、さまざまな意味で余人をもって代えがたい才能を発揮した。
(敬称略)