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1964年のZ会同窓生はこんな人たち

 東大文Ⅰには政治家、元政治家の名前が見える。平沢勝栄(福島)、谷垣禎一(麻布)、仙谷由人(城南)、松原脩雄(大手前)、白川勝彦(十日町)。

 

平沢勝栄氏 ©文藝春秋

 平沢は警察官僚からの転身。安倍晋三総理の家庭教師をつとめたことがある。安倍総理の言動が迷走するたびに、平沢は「先生の教えがなっていないからだ」ととばっちりを受けることがある。

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(右)谷垣禎一氏 ©文藝春秋

 谷垣は総理候補と言われながらも、自転車転倒事故で政治生命が途絶えてしまった。仙谷は民主党政権時代に官房長官、法務大臣など要職をつとめた。白川は橋本龍太郎政権時代に自治大臣、国家公安委員会委員長に就任している。松原は日本社会党所属の議員として、『朝まで生テレビ!』などメディアへの露出度が高かった。

(左)仙谷由人氏 ©文藝春秋

 1945年生まれのZ会神童は1960年代後半の左翼運動に積極的に関わっていく。

 1969年の東大安田講堂攻防戦のとき、東大全共闘メンバーの松原は逮捕され、仙谷は安田講堂内に弁当を差し入れたと、伝えられている。白川は東大全共闘と対立する民青(民主青年同盟=日本共産党の友好団体)の活動家だった。
 
 現在、上記のうち平沢以外は政治家を引退している。さびしい。

よど号ハイジャック事件を起こして北朝鮮に渡った人も

 左翼運動参加でもっとも極端なケースが、小西隆裕(小石川)である。東京大ではいまもむかしも最難関の理Ⅲ(医学部進学コース)に入学。野球部員として神宮球場で活躍していたが、赤軍派メンバーとなり、1970年によど号ハイジャック事件を起こして北朝鮮に渡った。いまもピョンヤンで暮らす。赤軍派は連合赤軍、日本赤軍などに分かれていく。Z会で学び京都大工学部に進んだ奥平剛士(岡山朝日)の場合は、1972年に日本赤軍メンバーとして、イスラエルのテルアビブのロッド空港で乱射事件を起こす。

 1972年、連合赤軍は浅間山荘事件を起こす。この成り行きを興味深く見つめていたZ会神童がいた。映画監督、長谷川和彦(広島大学附属)である。連合赤軍をテーマに映画を撮ると宣言しながら果たせないままだ。代表作は沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』(1979年)。