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「お互い頑張って、一軍で投げ合おう」ケガと戦うDeNA・櫻井周斗、ヤクルトに旅立った阪口皓亮との友情

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/08/22
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 10代のころから苦楽をともにしてきた戦友との別れ――。

「だから僕はすごいなんか……今でも寂しいんですよね」

 横浜DeNAベイスターズの櫻井周斗は、そう言うと、ちょっとだけ目を伏せて苦笑した。

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 7月26日、ベイスターズの6年目・阪口皓亮が東京ヤクルトスワローズへトレードされることが発表された。多くの人たちが驚きの声を上げたが、櫻井もそのひとりだった。阪口と櫻井は高卒同期。2017年のドラフト会議で阪口は3位、櫻井は5位指名を受け入団している。同世代のピッチャーとして非常に仲がよく、同じチームのライバルとして、ここまで互いに切磋琢磨してきた。

 しかし同じ釜の飯を食った盟友は、新天地へと旅立っていった。少なからず衝撃はあったが、櫻井はこれがプロの現実だと痛感した。

「もしかしたら自分がそうなっていたかもしれないし、それを一番身近な人間を通して見ることができたんです」

 その声の響きは、どこか覚悟を感じさせるものだった。

櫻井周斗 ©時事通信社

「いろんなことを履き違えてしまった……」

 日大三高時代は早実の清宮幸太郎から5打席連続で三振を奪うなど注目されていた櫻井は、プロ4年目の2021年シーズンに頭角を現した。6月からチームに帯同されると、リリーフとして回またぎなどの登板で信頼を得て、シーズンが終わるまで一軍で過ごしている。この年は30試合に登板し、防御率3.07と安定した成績を収め、貴重なリリーフ左腕として、翌シーズンの活躍が期待された。

 だが、それは刹那の輝きだった。翌2022年1月、球団から櫻井が“左肘尺骨観血的整復固定術”を受けたことが発表された。いわゆる左肘の“疲労骨折”である。自覚症状は、いつからあったのだろうか。

「あの年、痛みが出たのは9月中盤ぐらいでした。けど、投げられないことはなかったし、登板機会をもらっていた最中でしたからね。あとひと月ぐらいでシーズンも終わるし、ここは頑張ってみようって」

 櫻井にしてみれば、プロになって初めて掴んだ大きなチャンス。痛みがあっても、そう簡単に手放すことはできなかった。身近にいるトレーナーも、できるかぎりのケアはしてくれていたが、結局のところ“やる・やらない”の最終的な判断は、選手本人に委ねられているのが現状だ。是が非でも奪いたいポジションや守りたい場所は、どの選手にもある。

 手術後、櫻井はリハビリを経て7月に実戦復帰を果たすことができた。以降、ファームで13試合を投げ防御率2.30。順調に回復していると思えたが……。

「復帰した当初はまったく問題なかったんですけど、8月に入るとまた左肘に痛みが出たんです。けど前とはちょっと違う感じの痛みで、トレーナーさんに治療をしてもらえば投げられる状態でした。自分としては早く一軍に上がりたいし、痛かろうがまずは投げたいという気持ちが強かった。で、9月半ばぐらいにコロナに罹って、10月にチームに戻ったんですけど、そのときはもうほとんど投げられない状態でした。病院へ行くと同じ個所がまた折れていると……」

 再発。櫻井本人にとっては、まさかの出来事だった。果たして故障の原因は何なのか? 櫻井は複数のトレーナーからの意見はもちろん、病院をはしごするように診察を受けた。問題は投げ方にあるのか、栄養面にあるのか、それともトレーニング面なのか、多方面から分析をした。

「いろいろな意見や診断を聞いた僕なりの結論は、やはり投げ方にあったと。再発してしまうようなフォームをまず改善しなくてはいけない。肘そのものに問題があるのではなく、肩や手首まわりの機能だったり、いくら肘が治っても同じ投げ方をしていたら、同じ負担が掛かってしまう。そこはメカニズムの問題で、気づけなかったのが自分としてはしくじってしまったなと……」

 そう言うと、櫻井は自戒の念を漂わせつづけた。

「一番の反省は、自分の身体の声を、自分自身が聞けていなかったことです。トレーナーさんに任せておけばいいとか、若いからなんとかなるだろうってどこか驕りや油断があったと思うんです。現状に目を向けず、とにかく“一軍で投げたい”という思いばかりが先走ってしまって、いろんなことを履き違えてしまった……」

 若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、入れ替わりが激しいプロ野球の世界、このとき5年目だった櫻井が焦燥感に駆られてしまう気持ちもわからなくはない。

 2回目の骨折は手術をする必要はないという医者の判断により、櫻井は保存治療でリハビリをすることになった。もちろん前回よりも慎重に、自分の身体の声を聞きながらだった。

 そして球団からは、来季に向け育成契約を提示された。

「いろいろお話をさせてもらって、球団からは『治るのを待っている』と言っていただいて、病院の手配はもちろん、リハビリの面倒もみていただきました。だから、しっかりと恩返しをしたいと思います」

 オフは毎日、都内にある病院に通いリハビリを行った。とにかく自分に「焦るな」と言い聞かせながら取り組む地味な作業。20メートルもボールが投げられない時期が3~4カ月もつづいたが、慎重に肘や肩の機能改善に努め、負担の掛からないフォームを探した。

 そして4月8日、球団から櫻井の支配下復帰が発表された。「うれしかったですね」と言う櫻井は、阪口ら仲間たちから帰還を大いに祝福された。

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