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「台所で泣きながら腹に包丁を突き立てた」兄からの壮絶な暴力、12歳での自殺願望…私が苦しんだ“きょうだい間の虐待”

「きょうだい間の虐待」は解決の糸口が存在しない

2023/07/27

genre : ライフ, 社会

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解決の糸口が存在しない「きょうだい間の虐待」

 母親を連れて家から逃げることも、兄を警察に通報することも、精神科を受診させることも、何度も何度もくりかえし考えたが、どれもこれも全く現実的ではなかった。うちには逃げるだけの金すらない。警察に突き出しても「きょうだい喧嘩」「家庭の問題は家庭で解決してください」と門前払いを食らってしまうだろうし、運良く兄を拘束してくれたとして、必ず数日かそこらでうちに帰ってくるだろう。

 そうすれば、怒り心頭の兄からどんな報復を受けるかわからない。「最悪、誰かが死ぬだろう」とさえ思うほど、当時の状況は酷いものだった。じゃあ、精神科に連れていって治療を受けさせようか? 本人が受診を激しく拒絶しているのに、どうやって? 成人男性と同じだけの体格を持った兄が暴れているのを、誰が、どうやって、合法的に病院まで連行するのだろう。

写真はイメージ ©️AFLO

 親から子への虐待であれば、児童相談所や市町村の職員が子どもを保護することが法律で認められている。しかしながら、子から親への、きょうだいからきょうだいへの虐待については、このような法律や制度が存在しないため、行政でも支援団体でも被害者を保護できないのが現状である。つまり、このような被害に遭ったとき、被害者には逃げ道や解決策がまったく用意されていないということになる。

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 この事実を知った当時、15、6歳以降だろうか、私は毎日のように兄を殺すことを考えていた。母親はというと「いつか、どうにもならなくなったら私があの子をあの世に連れていくから。あの子は私の子どもだから、私が責任を取らなくちゃいけないから」と言いながら、毎日「死にたい」と言いながら、いつもいつも泣いていた。あのときの私たちには、もうそれしか解決策が残されていなかったのだ。

「Aさんに同じ地獄を味わわせてはならない」と強く思ったけれど

 それから年月が経ち、2022年、私は12歳のAさんからの相談を受け取った。「この人はまさに、あのときの自分だ」と思った。

 私と母親は、あの家で暴力にただ耐え忍ぶことしかできなかった。結局、誰も兄を止められなかった。助けてくれる誰かが現れるなんてこともなく、地獄のような日々を生き、実家から逃れた今もまだ、毎晩夢の中で兄から殴られ続けている。極度の恐怖で悲鳴をあげながら起きるか、抵抗して腕や足を振り回して起きる日が続く。こんな夢を見続けるくらいなら、もう死んだ方がマシだとすら思う。

 心療内科に何年も通い続けて、薬も限界量を処方されているが、快方に向かっているかはわからない。十数年続いているうつ病とPTSDで、日常生活をまともに送ることすらできない。

 どうにかして、Aさんを救いたいと思った。この子には、同じ地獄を味わわせてはならないと強く思った。しかし現実はあまりにも残酷で、私が兄を殺そうと密かに考えていた当時から、この国では何ひとつ状況が変わっていなかった。