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 バトゥーリン記者の避難先の住まいはウクライナ西部にあるリビウ市にあり、家の中にはあまり家具がなかった。南部のヘルソン州から命からがら逃げてきたからだろう。客間にはテーブルもない。私は彼といすに座って向き合い、ロシアによる尋問の詳細について、インタビューの続きを始めた。

「私の住む町の隣町であるノバカホフカ市の市長室に連れ込まれました。頭巾が外されると、目の前には二人の男が立っていました。一人は地元のレオンチェフという名の親ロシア派のウクライナ人協力者。もう一人はウクライナ東部のドネツク州から来た人で、いずれもロシアにシンパシーを持つ男たちでした」

 この市長室はバトゥーリン記者には馴染みがあった。地元の新聞記者として何度もここで市長に会い、インタビューしたことがあったという。

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「でも、市長はすでに拉致され、ここにいないと気づきました。赤い旗が2本、市長室の内部に掲げられていたからです。そんな旗は以前はなかったのです」

 赤い旗の一つはソ連の国旗を模した真っ赤な旗だ。そしてもう一つは、ロシアにシンパシーを持つウクライナ人協力者が「勝利の旗」と呼ぶ、第2次世界大戦でソ連が勝利したことを祝う旗。それらが掲げられているのは、「ウクライナも20世紀に『加盟』して構成国だったソビエト連邦の歴史に学び、ウクライナをソ連的なロシア中心の国家に変えていこう」という意思の表れだった。

背後で鳴り響く「ガチャ、ガチャ」という銃同士が擦れる音……

 男の一人は「自分は、(ロシア軍が任命した)市の軍政代表だ」と名乗った。ロシア軍政下の市の「トップ」、つまりロシアが捏造した「市長」というのである。

 バトゥーリン記者の背後では「死」を暗示する音が響いた。「ガチャ、ガチャ」という銃同士が擦れる音。複数の兵士が後ろにいるのは確実だったが、危なくて振り向けない。

©AFLO

 さらに、レオンチェフら二人の男は殺害するそぶりも見せ始めた。バトゥーリン記者に二人は「トロイカという言葉を知っているな」と口々に言った。トロイカは、80年余り前、ソ連で使われた言葉だ。彼らは「クレムリンに逆らう者を消す」というスラングとして使った。トロイカはソ連の秘密警察、検察、共産党の代表の三者からなる粛清のための組織で、当時、数十万人が処刑された。