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悩ましい「俺も我慢した、君も我慢しろ」論

 いまでこそ、アベノミクスでは働き方改革とか地域経済の復興などなどいろんなスローガンが立ち上がっては迷走している印象ですけど、もっとも考えるべき大きいテーマ群は「右肩上がりの思想からの脱却」と「下り坂を見据えた秩序ある撤退戦」といったあたりじゃないかと思うんですよ。これから景気が良くなろうというところで社会に出たジジイと、そういうジジイが歳とって動けなくなったところで彼らの年金分も稼がなければならないいまの若者とでは、置かれている現実も社会の方向性もまったく違う。もちろん、戦後の高度成長を支えたのは、いまの高齢者が頑張って働いたからであることは間違いありません。でも、そのころ培われた経験に基づく日本の常識は、状況が変わってしまったこれからの日本で生きていく若者にマッチしなくなっていることに気づいてもらわないと困ります。いまどきの労働組合が、ともすれば正規雇用の中高年の立場しか代弁しておらず、フリーターや非正規雇用の若者のような、本来は本当に守られなければならない人たちに傘を差しだしていないと批判されるのも仕方がないと思うんですよ。

 やはり、いまの中高年が「俺も我慢した。その結果、良い人生を送ることができた。だから、いまの若い人たちも我慢するべき」という論法と結構平然と出してくるのが悩ましいのです。それは我慢したから良くなったのではなく、日本人が増えて日本の経済が良くなったので、相応に頑張っていれば取り分がおのずから増えた、というだけです。むしろ、自分の力を信じて高給をゲットするため転職をしていた人のことを、ジョブホッパーとか根無し草などと言って馬鹿にしていたのは、間違いなく日本の企業戦士だったように感じます。

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私たちが取り戻したかった日本って

 むしろ、経済が縮小していく中で、何よりも人が大事だという社会になっていくプロセスにあるなか、若い人に我慢をしなさいというアドバイスをすること自体がどれほどの意味を持つのか、よく考えるべきだと思うんですよね。もちろん、人として「手掛けたことは最後までしっかりやりなさい」とは言えても「厳しくてもそれが社会であり組織なのだから、自分を殺して勤め上げるのがプロです」というには相当の見返りや、将来の給料アップが無ければ見合わないよな、と感じます。そういう実利の見えない、あやふやに「頑張れば、いつかは報われる」というアドバイスは、若い人たちにとって役に立たないばかりか、貴重な若い時分を捨てさせる有害無益なものになってしまっているのでしょう。

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 そんななか、人手不足が顕著なのに非正規の派遣社員の平均時給が下落しているというニュースが出てきていました。私の聞く範囲では、派遣社員には下手な正社員よりも人件費は支払われているはずなのに、実際にはそれほど支払われていないようなのです。さて、そのお金はどこに消えているのでしょうな。

 なんか北朝鮮に人道的な救援物資を送っても、実際に困っている人たちに届く米粒は少ない的な悲しみを覚えます。これが私たちが取り戻したかった日本でしたっけ。