恐るべき地元志向
それでも、やはり研究室に出入りしているジジイが「最初はしっかり社会的な常識を持たせてくれる大企業に3年から5年は居るべき」とか「20代は基礎固め。社会人として信頼されるようじっくり頑張れ」などのアドバイスをしているのを目撃して、お前ら死ねばいいのにと正直に思います。例えば親御さんが子供の将来や安定を願って公務員志望にさせたり、地元の大企業に就職させようとする傾向は強くあります。地方国立大学で何度か講座を持ち、就職を控えた学部生たちと話をする機会は多いのですが、気になるのは学んでいる学生たちの 恐るべき地元志向であり、東京や大阪、福岡に出ていって一旗揚げようという野心のある若者は50人いて2人か3人です。
なんでそんななの? と訊くと、地元を愛し、地方暮らしにそもそも不満がない。付き合っている人が地元で実家を継ぐので私だけ東京に出ても身寄りがいないので不安だ。集団就職の悲惨な体験談を祖父に聞かされたことがあり、親元を離れたくない、などなど。本人たちの志向もさることながら、周辺にいる親や年寄りの影響をもろにうけているのは、地方のコミュニティが小さく穏やかだからでしょうか。
「若い人には思い切りがない」?
教授同士の宴会に同席させてもらったとき、顔を真っ赤にして泥酔した古株教授が「若い人には思い切りがない」と喝破していたのを思い出します。話の半分は「あんたがいつまでも教授職に居座って古い学説で教育し続けているから先端の研究をしている若者が任期付き職員に甘んじざるを得ず、大学も若い人も困ってるんだろ。さっさとそのポストと給料を明け渡せ」と思わないでもないのですが、残りの半分は「ジジイ割り勘だからって高い酒ガンガン飲んで茹蛸のように赤ら顔になりやがって。酒は丁寧に飲め。親の顔を見たいからいますぐ呼び出せコンビーフ野郎が」と感じるわけです。
突き詰めれば、いわゆる「逃げ切り世代」というのは放っておいても経済は伸びていき、社会はより良くなって、日本が頑張れた時代の話であるから「一つの会社で結果を出すまで辛抱する」とか「若いうちは安月給でも勉強料と思って努力する」といった思考経路が成立したのでしょう。会社に残っていれば、会社は成長するに違いない。いま我慢すれば、より良い待遇が保証されるに違いない。そういう右肩上がりの社会観が隅々にまで行き渡っていたのが昭和であり中高年の考え方です。
株式であれ不動産であれ、資産を持っていればいずれ値上がりして転売するとき利鞘が出ると信じ込めるから、借り入れを起こしてアパートみたいな投資用不動産を買って悠々自適な老後の生活を、と思えるのでしょう。会社にいれば、勤続年数に応じた昇給があったり、同期の桜と見比べてほどほどの咲き具合でも昇進するポストはあった。
そういう戦後の成長のファンタジーが雲の上まで続いている前提で物事を考えている高齢者は、自分の成功体験に基づいて、かなり自信満々に「最初は大手企業に入りなさい」などと真顔で若者にアドバイスできてしまう。「公務員は安定してるよ」と、また「好きな研究を極めるのが一番だ。いずれ芽が出るから」と、適当なことを言う。でも、実際には大企業に入っても3年以内に辞めてしまう新卒離職率が大卒で3割を超えているんですよね。まあ、私も新卒で入った会社は半年で辞めてるんだけどさ。