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元電通のTVマンが、早稲田大サッカー部の監督になってやったこと

早稲田大学ア式蹴球部・外池大亮監督インタビュー

2018/03/12

「早稲田らしさとは何か?」を学生に問うた

 早速、外池改革は始まっている。

 今春から4年生になる学生たちと顔を合わせると、いきなり宿題を出した。

 ア式蹴球部は全国最多のタイトル数を誇る名門中の名門。川淵三郎、釜本邦茂、西野朗、加藤久、岡田武史、原博実、関塚隆ら多くの人材を日本サッカー界に送り込んできた。脈々と受け継がれてきた部訓「WASEDA the 1st」を「もう一度考え直してみないか」と呼び掛けたのだ。

 

 外池は言う。

「“早稲田は競技者として一番たれ、人間として一番たれ”と呪文のように言い続けてきました。そこに染まるという肯定の仕方は一つあるんですが、そもそも今の時代に、今の自分たちにフィットしているのか、君たちの思考は停止していないか、と。一回疑ってみないか、と。そう言ったら学生がザワついたんです。『えっ、手をつけていいものなんですか』みたいな反応でしたから。俺も考えるから、みんなも考えてみようよと言いました」

 ビジョンをつくるとともに“マーケティングリサーチ”も行なった。

 無記名で「早稲田らしさとは何か?」とアンケートを実施。「エリート集団」「泥臭い」「文武両道」などのポジティブな意見が8割だった。一方で「エリート意識では強くなれない」などとネガティブな意見も2割あった。ひと安心した。流されず、現状を良しとしないそのアウトロー的パワーこそが、組織を変える源流になると彼は経験則から知っている。何かを変えるには学生が望まなければならない。望むなら、その手助けをしてあげればいい。

これでいいのか「早稲田の伝統」

 外池は少年時代から早稲田に憧れていた。

 中1のときにテレビで観たラグビーの日本選手権決勝が胸をカッと熱くした。清宮克幸、堀越正巳、今泉清らを擁するワセダが社会人王者の東芝府中を破った伝説の試合を目の当たりにして、「この大学に行く」と決めた。猛勉強して受験で早稲田実業に入り、サッカーを続けながら希望どおり早稲田大学に進んだ。

 しかしア式蹴球部に入ってからは「今の部でいいのか」という思いが芽生えるようになる。

 たとえば3時間に及ぶグラウンドの整備、たとえば一人がミスしたら全員で行なう罰走。ずっと受け継がれてきたとはいえ、周りは疑いもせず「それが早稲田の伝統だから」とスンナリ受け入れてしまうところが納得できなかった。

 否定ではない。否定を飲み込む寛容があってこその早稲田ではないのかという思い。あれだけ憧れた早稲田が、いつしか窮屈に感じられて仕方なくなっていた。20年ぶりにリーグ優勝を果たしたとはいえ、心から喜べない自分がいた。

アウトロー精神だけは忘れたことがない

 Jリーグでは早稲田OBが一人もいなかったベルマーレを選んだ。早稲田の肩書に頼るなら、先輩の多いクラブに相談すればいいのに、外池はそれをしなかった。

 組織に入れば、方針を受け入れて邁進する大切さも分かっている。ただどんな世界に足を踏み入れてもアウトロー精神だけは忘れたことがない。Jリーガーとしても、電通マンとしても、そしてテレビマンになっても。

 

 スカパー!に「Jのミライ」という外池の手掛けた番組がある。

 始めた当初はJリーグとの放映権契約が更新されるかどうか不透明な状況だった。にもかかわらず、外池は「日本サッカーを育てる、日本サッカーにかかわっていくスタンスを見せていくためにも必要」と必死に訴えた。Jリーグのクラブの育成、普及、地域貢献などにスポットライトを浴びせる骨太の番組は、会社のビジョン、顧客のマーケティングリサーチを照らし合わせても共感を得られると確信があったからだ。

 1回切りの特番を勝ち取った。すると丁寧に深掘りする番組は大きな反響を得た。特番は定期番組に変わり、放送は18回を数えるまでになっている。