研究者ももっと冒険すべきなんです
本郷 ただ、歴史解釈という点において、必ずしも研究者が優れているかと考えると、これはちょっと難しいんです。
というのも、研究者というのは、そもそも「面白い歴史解釈」をしてはいけないんです。ある意味で優秀な研究者というのは、たとえば史料がしっかりしている部分はわかるけど、そうでない部分に関しては、「ここから先はわからない」とか「そういう説もある」という言い方になるんです。
しかしながら、Aという史料があり、Bという史料があればふたつのことは断定的に語れます。多くの研究者はその先はわからないと考えるけど、ふたつの要素からベクトルを伸ばせば、その先でどういったことが起きるのか、それを考えることこそが本来、研究者の腕の見せどころだと個人的には思います。だから本当は研究者ももっと冒険すべきなんですよ。
伊東 なるほど。その点で小説家は自由に想像の翼を伸ばせます。ただ史実から逸脱したり、解釈に合理性がなかったりした場合、読者からそっぽを向かれるので、そのあたりには神経を使います。私の場合、いつもうまい具合に着地点が見つけられますが、とくに『修羅の都』の場合、「吾妻鏡」の空白部分、すなわち史料がない歴史に斬新な解釈を施すことができました。具体的に言うと、「吾妻鏡」で空白となっている建久6(1195)年から建久10(1199)年の約4年間にわたる期間にスポットを当て、そこで何があったかを解明していくことで、物語に生命を吹き込むことができたと思っています。
したたかな北条政子像は高島礼子さんから
本郷 頼朝の晩年から死の部分という非常に重要な期間ですね。
そもそも空白部分があるのはなぜなのか。僕は「吾妻鏡」の研究に従事しているわけですが、現在読まれている「吾妻鏡」というのは徳川家康によって収集されたものだと考えられています。空白は単なる偶然なのか、あるいは何か意味があるのか。このあたりも非常に興味深い点といえます。
それにしても、斬新な解釈で頼朝の死の部分が描かれていますよね。
伊東 ここは作品のコアな部分なので、どういう解釈かは秘密とさせていただきますが、頼朝ファンには、なかなかショッキングな話になっているかもしれません。
本郷 確かにこの時期の鎌倉幕府と朝廷側とのせめぎあいは非常にスリリングですね。
僕は頼朝と政子について、「修羅」という言葉で初めに連想したのは、頼朝の女性関係、男女の恋愛感情にまつわるものなのかなと思っていました。
伊東 全く違います(笑)。自分の仕事は男女の感情のもつれを描くことではなく、歴史という大河の中で、苦悩し迷いながらも前に進もうとする人間たちのドラマです。
本郷 でもこの政子像は本当に強い。まさにしたたかです。頼朝の考えを唯一理解して、それを支える存在ですね。この政子像はどこから思いつかれたのですか。
伊東 実は以前、女優の高島礼子さんと番組でご一緒させていただいた際に、北条政子を演じてみたいと、お話をされていたんです。それがきっかけで、政子に対するイメージが膨らみ、頼朝と政子の歩んだ苦難の道を書いてみようと思ったわけです。
本郷 そう言われると、政子が高島さんだと思ってもう一度読み返したくなるなあ。